9月13日日曜日,映画「カミングアウト」の自主上映会を予定どおり行いました.参加してくださった方々,ならびに,会場を貸してくださったカトリック本郷教会に感謝します.
この映画のテーマは,gay である或る大学生が家族や友人に自分の sexuality を告白する過程における心理的葛藤です.
誰もが或る年齢に達すると,家族や友人や社会一般から,結婚や就職などに関して「普通」に為されるさまざまな期待や要請を受け取ります.しかし,LGBT の人々にとっては,そのような事態は非常に大きな重荷になります.なぜなら,自分の sexuality にそぐわないからです.
では,わたしが LGBT であることを告白するか?しかし,それまでわたしを「普通」の人間と見なしてきた身近な人々が,「普通」でないわたしを受け容れてくれるか拒絶することになるか,愛してくれるか憎むことになるか? LGBT の人々が coming out しようと思えば,この非常に恐ろしい実存的な問いを自問せねばなりません.
映画「カミングアウト」をひとつの芸術作品と見なすとき,そこにおいてこの重大な問題性が十分に描き出されていたか?残念ながら,その閾に達していたとは言えません.
まず,sexuality の問題を扱った作品でありながら,直接に性的な光景は描かれておらず,教会の施設のなかで上映するには無難と言えば無難でしたが,「きれいごと」で終わってしまっています.また,主人公の家族構造は日本でももはや神話的ないし伝説的とでも言うべき中流階級家族構造として設定されており,家族内力動も全く描かれていませんでした.要するに,映画的な reality には乏しい作品でした.
さらに,spiritual な要素の欠如が指摘されます.LGBT の人々が家族を含む対人関係のなかで持つ悩みだけでなく,神との関係において持つだろう疑問,葛藤,信頼,和解などをも取り上げれば,そのような作品は,映画であれ小説であれ,より感動的なものになるでしょう.キリスト教が主流宗教である国々でなら,そのような作品は既に作られているだろうと思います.調べてみます.
上映会後の議論のなかで,日本社会では transgender の人々は「病気」として受け容れられやすいが,cisgender の同性愛者はより受容困難であり,逆に,日本以外の国々では cisgender の同性愛者の方がより社会に受け容れられやすい,という指摘がありました.興味深い事実です.
日本ではカルーセル麻紀氏を始めとする transgender 芸能人たちの活躍があり,他方,たとえば USA では Tim Cook を始めとする多くの gay 有名人が come out しています.もしそのような事実が社会の LGBT 包容性に影響を与えているとすれば,やはり,既に或る程度の社会的地位を持っている LGBT の人々が勇気をもって率先して come out することが,より若い世代の LGBT の人々にとって大きな助けになる,ということができるでしょう.
そのようなことが可能になるよう願いつつ,LGBT カトリック・ジャパンも,日本のカトリック教会と日本の社会が LGBT の人々に対してより包容的になってゆくよう,活動して行きたいと思います.
(小笠原晋也 記)