2016-01-30

フランチェスコ教皇は同性婚の可能性を否定したのか?

イタリアの上院では,今月28日から civil union の法制化が審議されています.同性カップルに婚姻と同等の法的権利を認める法案です.同性カップルの一方が非嫡出子を持っている場合,その子をカップルの他方の養子にすることも容認されることになります.

しかし,世論は賛否に分かれています.カトリック教会の高位聖職者のなかには反対を表明している人もいます.そして,そのような状況のなかで,フランチェスコ教皇は,1月22日,Rota Romana [教会法にかかわる Vatican の裁判機関のひとつで,婚姻無効の判断はそこで為される]の2016年司法年度の開始の機会に為された談話において,こう述べました:

« Nel percorso sinodale sul tema della famiglia, che il Signore ci ha concesso di realizzare nei due anni scorsi, abbiamo potuto compiere, in spirito e stile di effettiva collegialità, un approfondito discernimento sapienziale, grazie al quale la Chiesa ha – tra l’altro – indicato al mondo che non può esserci confusione tra la famiglia voluta da Dio e ogni altro tipo di unione. »
「過去二年間 [2014-2015] に主が我々に開催をお許しになった家族をテーマとするシノドスの過程で,我々は,有意義な合議制の精神と形式において,賢明な判断を深めることができた.それによって,教会は,就中,このことを世に示した:すなわち,神が欲したもう家族と,それ以外のあらゆる形の union との間には,混同はあり得ない.」

この « ogni altro tipo di unione » [それ以外のあらゆる形の union ]には同性カップルの civil union と婚姻とが当然含まれているはずだと思った pro-LGBT activist たちは,「教皇は,婚姻の平等への強い反対の意を表明した」と見なして,失望をあらわにしました.例えば : New Ways Ministry.

しかし,1月22日の談話のテクスト全体を読むとわかるように,フランチェスコ教皇は,一人称では語っておらず,而して,一昨年と昨年のシノドスにおける司教たちの議論を踏まえつつ,また,福者教皇パウロ六世の1966年の言葉を引用しつつ,語っているだけです.

また,談話が直接向けられている相手は,婚姻無効を含む家族問題を扱う裁判機関 Rota Romana です.そこで問題となる家族は,既成の慣習のなかで考えられ得る家族,つまり男女の夫婦と子どもで構成される家族だけです.同性カップルのことは考慮外です.

フランチェスコ教皇が LGBT と同性愛カップルの問題に関して包容的な考えを持っていることは,彼の今までの言動から見て,明らかです.しかし,彼は同時に慎重です.LGBT と同性婚の問題がカトリック教会のなかに分裂を招くことを避けねばならないからです.

教皇は,昨年12月8日,慈しみの特別聖年を宣言しました.最近出版された彼のインタヴュー本は「神の名は慈しみである」と題されています.神の愛と慈しみこそが,キリスト教の本質を成します.

教皇にとっても我々にとっても,教会は,律法に立脚するのではなく,神の愛に基づかねばなりません.そも,律法の文字は,我々を断罪し,石打ちの刑に処するでしょう.逆に,神の愛の霊は,我々に永遠の命を与えてくださるでしょう.

神が欲したもう家族は,神を愛し,互いを愛する者たちが構成する家族です.それ以外の条件はあり得ません.であればこそ,「教会は神の家族」であり,かつ,「家族は家庭の教会」であるのです.

早ければ今年3月に,家族に関するシノドスにおける司教たちの答申に対するフランチェスコ教皇の回答が,Esortazione Apostolica として発表されます.そこで彼が LGBT と同性婚の問題に関して何とおっしゃるか,わたしたちは楽しみに待ちましょう.

常に,主において,主によって,希望をいだきつつ.