2016年2月25日木曜日

Evan Wolfson 弁護士との出会い

USA における同性婚運動においてリーダーの役を果たしてきた弁護士 Evan Wolfson 氏がこのたび来日しました.

わたし(ルカ小笠原晋也)は,2月20日に EMA 日本 (EMA は Equal Marriage Alliance の略)という NPO が主催するパーティーで彼の短い講演を聴き,彼の2004年の著書 Why Marriage Matters – America, Equality, and Gay People's Right to Marry [なぜ結婚が重要か – アメリカ,平等,そして同性愛の人々の結婚する権利]にサインしてもらい,彼と若干の対話をしてきました.






USA における同性婚運動は,1970年に或る同性カップルが婚姻証明書発行拒否を不服として提訴したことに始まります.その訴訟は敗訴に終わり,むしろ全米で同性婚の禁止を明記する立法が広がりました.欧州において,1979年にオランダで同性カップルに限定的な権利が初めて認められ,次いで1989年にデンマークで同性どうしの civil union の法制化が初めて成立し,次第にほかの国々へも広まっていったのとは,対照的でした.

1991年,Hawaii 州で三組の同性カップルが婚姻証明書発行拒否を不服として提訴しました.1993年に Hawaii 州最高裁は,州が同性婚禁止を正当化する理由を提示し得ない限り,結婚を異性カップルに限定する州法は違憲と見なされる,と判断しました.しかし,1998年に Hawaii 州立法府に同性婚を禁止する権限を認める Hawaii 州憲法修正条項が成立してしまい,訴訟そのものは却下されてしまいました.同様の州憲法修正が,その後,ほかの州でも行われて行きました.

他方,1999年に Vermont 州最高裁は,同性カップルを結婚の権利から排除することは州憲法に違反する,と判断しました.それを受けて,同州では2000年に同性カップルの civil union が法制化されました.ただし,同州で同性カップルの結婚が法制化されるのは,2009年のことです.

2000年12月,世界で初めてオランダで,同性カップルの結婚と養子取りを認める法律が成立し,2001年4月に施行されました.その後,現在に至るまで,アルゼンチン,ベルギー,ブラジル,カナダ,デンマーク,フランス,アイスランド,アイルランド,リュクセンブルグ,メキシコ,ニュージーランド,ノルウェー,ポルトガル,南アフリカ,スペイン,スエーデン,英国,ウルグアイ,そして USA でも同性婚は法制化されました.まもなくフィンランドもこのリストに加わります.現在,フィンランドを含めて,世界21ヶ国で同性婚は法制化されています.

2003年11月,Massachusetts 州最高裁は,「州憲法はあらゆる個人の尊厳と平等を肯定しており,州は結婚を望む同性カップルに対して結婚を認めないことはできない」と判断しました.その結果,2004年5月に全米で初めて,同性カップルに結婚証明書が発行されました.

2008年5月,California 州最高裁は,結婚する権利はあらゆる人間の基本的な権利のひとつであり,性的指向にもとづき結婚を認めない差別は,同性カップルの家族形成の基本的利益を侵害する,と判断しました.ただし,同年6月に合法化された同性婚は,同年11月の住民投票で成立した悪名高い Proposition 8 [州憲法修正条項第8号]により一時的に中断されてしまいます.このことについては,映画 The Case against 8 の感想の記事に紹介してあります.

2008年10月には Connecticut 州最高裁が,2009年4月には Iowa 州最高裁と Vermont 州最高裁が,同性婚を合法と判断しました.2013年には New Mexico 州最高裁が,同性カップルのために結婚証明書を発行するよう州に命令しました.

2009年には New Hampshire 州と District of Columbia において,2011年には New York 州において,2012年には Washington 州と Maryland 州において,2013年には Rhode Island 州,Delaware 州,Minnesota 州,Hawaii 州,Illinois 州において,同性婚が法制化されました.

2014年と2015年には,その他の多くの州で次々に同性婚は合法化されました.そしてついに2015年6月に,合衆国最高裁は,同性カップルに結婚の権利を基本的権利のひとつとして認める判決をくだしました.

USA における LGBT の人々の権利を擁護するための運動の歴史のなかで重要な役割を果たしてきたのが,同性愛の弁護士たちを中心にして1973年に設立された NPO, Lambda Legal Defense and Education Fund です.彼らは,LGBT の人々の権利にかかわる多くの訴訟で弁護活動を担当しました.

Evan Wolfson 氏は,1989年から2001年まで,Lambda Legal のために full-time で働き,その活動のなかで中心的な役割を果たしました. 

次いで Evan Wolfson 氏は,同性婚実現を支持する或る基金から豊富な資金を提供されて,同性婚合法化の目標に特化されたキャンペーン Freedom to Marry を創始し,その総指揮者になり,LGBT の権利擁護運動の象徴と見なされるようになります.彼の2004年の著書 Why Marriage Matters は,同性婚問題に関する最も重要な入門書と評価されています.

Freedom to Marry の強力なキャンペーンは奏功し,USA で同性婚を支持する国民の割合は,1993年には 27 % にすぎなかったのに対し,2015年には 63 % になりました. そして,Obama 大統領を同性婚支持者にすることにも成功し,全米の多くの州で婚姻を異性どうしに限る法律を撤廃させ,同性婚を合法化させることに成功しました.2015年6月の合衆国最高裁判決を以て USA の同性婚運動は成功裡に完了したため,Freedom to Marry は2016年2月に解散しました.

2月20日の短い講演を Evan Wolfson 氏は力強い断言で開始しました: 結婚はあらゆる人間に平等に認められるべき権利であり,結婚の権利が sexual orientation にもとづいて制限されることがあってはならない.

日本においても同性婚を合法化すべき理由は,これに尽きています.権利の平等と,不当な権利制限の撤廃です.

わたしは,同性婚問題との関連において,非家父長制的な家族の形成が21世紀において社会の再建のために必須であると考えています.しかし,Evan Wolfson 氏は彼の著書のなかで家族についてあまり積極的に論じていませんでした.そこで,彼の家族観について質問してみました.彼は,USA における家族観は多様である; 勿論,彼も,社会における家族の機能を非常に重要なものと思っている,と答えてくれました.しかし,家父長制の問題そのものについては,あまり考えたことがないようでした.USA においては,一部の保守主義者を除けば,「家父長制」はもはや死語になっているのかもしれません.ちなみに,Wolfson 氏自身,同性パートナーと 2011年に結婚しています.

また,たまたま今月(2016年2月)に映画 The Case against 8 を観て,USA における社会正義実現に感動したと感想を伝えたところ,彼は,Freedom to Marry の活動に関する映画も制作中だから,期待していてくれ,と答えてくれました.

最後に,EMA 日本について.この組織と 2月20日のパーティーのことは,友人に教えてもらいました.一瞬,日本にも同性婚運動があることを嬉しく思いました.しかし,その web site を見て驚きました.稲田朋美自民党政調会長や馳浩文部大臣の名が言及されているからです.

稲田朋美氏は,周知のとおり,悪名高い日本会議と神道政治連盟の会員です.それらの極右団体は,同性婚を認めないどころか,LGBT の人々の存在すら受け容れようとしないでしょう.稲田朋美氏は,夫婦別姓にも男女平等にも反対意見を表明しています.女性差別の存続を許す人に,どうして LGBT 差別撤廃を期待することができるでしょう?

また,馳浩氏の web site には,露骨に家父長主義的なスローガンがトップに掲げられています.同性婚により形成される家族は,家父長主義とは相容れません.

自民党は,LGBT に関する課題を検討する研究会を設置するそうですが,自民党のもくろみは,LGBT の人々の権利を本気になって擁護することではなく,女性活用の掛け声と同様,単なる見せかけにすぎないことは,明々白々です.

なぜ自民党が LGBT 問題に取り組む用意があるかのようなふりをするのか?それは今や,企業にとって,LGBT friendly であることが,sexist でないことと同様,消費者に対して好印象を与え得るからです.USA では少なからぬ有名人が homosexual, bisexual, transgender, gender queer であることを公言し,あるいは,LGBT ally であることを宣言しています.LGBT の人々を差別し排除し続けることは,sexist であることと同様,今や企業にとって不利益因子となります.先日も,Panasonic が社内で civil union のような権利保護を行うことを発表しました.自民党が LGBT の問題を無視していないかのようなふりをしようとしているのは,ひたすらそのような企業の動向を考慮してであるにすぎません.

以上の問題点について EMA 日本の理事長らに見解を問おうとしたところ,彼らは露骨に不愉快な表情を顔に浮かべて,わたしとの対話を拒否しました.

思うに,この EMA 日本なる組織には,USA の Lambda Legal や Freedom to Marry のような活躍を期待することは全くできません.支配政党に取り入ろうとして,適当にあしらわれるだけに終わるでしょう.ともあれ,EMA 日本が LGBT 人権擁護と同性婚合法化の運動を,支配政党におもねるような方向に誤誘導して行かないよう,今後,警戒する必要があると思われます.

ルカ小笠原晋也,Luke S. OGASAWARA

2016年2月9日火曜日

映画 The Case against 8

映画 The Case against 8 が,「ジェンダー・マリアージュ」という邦題のもとに公開上映されました.USA で同性婚が最終的に合法化されるに至る過程の一部を成す California 州での裁判闘争のドキュメンタリーです.

ひとくちで言うなら,今の日本ではおよそあり得ない社会正義実現の喜びと満足を与えてくれるすばらしい作品です.フィクションではなく,ドキュメンタリーであるだけに,なおさらです.

それにしても,ひどい邦題です.英語で社会学的な意味における「性別」を意義する語 gender のカタカナ書きと,フランス語で「結婚」を意義する mariage のカタカナ書きとの単なる並置 ! まったく無意味です.この邦題を考えた映画配給会社関係者は言葉に関する感性を全く欠いている,としか思えません.

どうしてもカタカナ表題にしたいなら,せめて「アゲインスト・エイト」とでもすれば良かったでしょう.どうせ日本で劇場公開される映画のタイトルは大部分,そのままでは意味不明なのですから.

ともあれ,原題の the case against 8 という表現を理解するには,若干の予備知識が必要です.

case は,裁判で扱われる案件のことです.そして,8 は,2008年11月に大統領選を含む幾つかの選挙と同時に行われた州民投票で可決された California 州憲法に対する修正提案第8号 : Proposition 8 を指しています.直訳すれば,「提案第8号に対する訴訟」です.短くすれば,「対8号訴訟」とでもなるでしょう.

8号提案により州憲法がどう修正されたのか?「結婚は異性間に限る」という「修正」です.

実は,California 州では一旦,同性婚は合法化されました.州最高裁は2008年5月,同性婚禁止を違憲と判断したからです.ところがそれは,保守的な共和党側に強い反発を生ぜしめました.彼らは「結婚は異性間に限る」という条項を州憲法に付け加えることを提案しました.それは,Proposition 8 [8号提案]と呼ばれることになります.そして,彼らの盛大なキャンペーンの結果,2008年11月に8号提案は可決されてしまいます.

その事態に対して,今度は,民主党側の政治コンサルタント Chad Griffin と Kristina Schake が法廷闘争を展開し始めます.彼らは,選挙運動をつうじてつちかってきた強大な資金網を動員して,American Foundation for Equal Rights (平等な権利のためのアメリカ基金)という NPO を立ち上げ,原告となる同性カップルを二組選び出し,そして,全米で最強の弁護士たちのなかからふたりを雇います.ひとりは,かねてから民主党側である David Boies. ところが,もうひとりは,共和党側である Theodore Olson.


写真は,The Case against 8 のなかの一場面です.向かって右が Chad Griffin, 中央が Kristina Schake, そして左が Theodore Olson.

Theodore Olson は,2001-2004年,Bush 政権下で合衆国訟務長官を務めた保守派法曹人です.ところが彼は,同性婚問題に関しては賛成派です.もしかしたら,彼の子どもたちのなかに LGBT の者がいるのかもしれません.事実は不明です.ともあれ彼は,同性婚合法化は権利平等の原理により達成されるべきである,と主張しています.

対8号訴訟は2009年5月,San Francisco にある合衆国地方裁判所に提訴されました.

判決は2010年8月に下されました:8号提案は違憲である.その理由:同性婚を認めない8号提案は,結婚という基本的権利の行使を妨げ,また,性的指向にもとづく不合理な差別を作り出す.判決文ではこう述べられています:

「California 州は同性愛者を差別することに利益を有しておらず,また,8号提案は平等に結婚を認めるべき憲法上の責務を California 州が果たすことを妨げているので,本法廷は結論する : 8号提案は違憲である.」

8号提案支持者側は控訴しました.しかし,2012年2月,合衆国控訴裁判所は地裁判決を支持する結論を下しました:

「8号提案は,California 州における同性愛者の地位と尊厳を損なうこと以外,如何なる目的にも役立たず,如何なる効果をも有してはいない.憲法には,そのような類の法規を許す余地は無い.」

8号提案支持者側はさらに上告しましたが,2013年6月,合衆国最高裁判所は,Dennis Hollingsworth 上院議員を代表とする被告側はそもそも控訴のための法的適格性を欠いている,と判断しました:

「訴訟当事者は,訴訟適格性を有していなければならない.その適格性は,就中,具体的かつ個別的な損害を被ったということを要請する.我々は,被告側はそのような適格性を有していない,と見る」.

こうして California 州における同性婚の合法性は回復されました.

ついでながら,USA 全体においては,James Obergefell を原告代表とする訴訟について,2015年6月,合衆国最高裁判所は,基本的人権の尊重と法の下の平等により結婚の権利は同性カップルにも保証されている,と判断したことによって,すべての州で同性婚は合法化されました.

以上の経過を映画は,原告となった二組の同性カップルの情動と原告側のふたりの弁護士の論理との二軸に沿って,臨場感豊かに描き出しています.

自己決定の権利,自由の権利,法的適正手続の権利,移動の自由の権利,思想の自由の権利,宗教の自由の権利,表現の自由の権利,平和的集会の権利,団体結成の自由の権利,我が子に対する親権行使の権利,privacy の権利などの諸々の基本的な権利のうちに,結婚の権利も正式に算入されました.それは,基本的人権の尊重と法の下の平等の原理に鑑みれば,あまりに当然なことです.

しかし,同性婚が世界で初めて合法化されたのは,2001年,オランダにおいてです.

現在,オランダと USA 以外では,アルゼンチン,ベルギー,ブラジル,カナダ,デンマーク,フランス,アイスランド,アイルランド,リュクセンブルグ,メキシコ,ニュージーランド,ノルウェー,ポルトガル,南アフリカ,スペイン,スエーデン,英国,ウルグアイで同性婚は合法化されています.全世界で20ヶ国だけです.(間もなくフィンランドもこのリストに加わります.)

先進国でも,同性婚容認が一般化したのはこの十数年間のことにすぎません.同性愛と同性婚に対する抵抗感は,それほどに強固なものです.

しかし我々は,そのような抵抗に屈せず,基本的人権と権利平等の原理にもとづき,断固として同性婚の合法化を目指して行きましょう.The Case againt 8 は,我々にそのための勇気を与えてくれます.

この映画が改めて教えてくれたもうひとつのことは,家族の概念の根本的な変化と,それにともなう新たな家族の再構築の動きです.

伝統的には,家族は基本的に家父長制的なものでした.ところが,全世界的に,第二次世界大戦終了後,特に1960年代以降,家父長的なものとしての父のいかさま性があらわになって行きました.いわゆる「父の権威」の失墜です.

家族のなかで,もはや誰も,生物学的な父親も含めて,伝統的な「父の機能」を引き受けようとしなくなりました.家族は解体してゆき,ほぼ完全に分解してしまいました.それにともなって,社会もすさんで行きました.

ところが,今世紀になって,従来のものとは根本的に異なる新たな家族が復活しつつあるようです.それは,非家父長制的な家族です.純粋に愛で結ばれたカップルが作る家族です.そのような家族は,言うなれば,愛と命の聖匱です.

愛と命の聖匱としての家族においては,当然ながら,愛し合うカップルが異性どうしか同性どうしかは本質的ではありません.

また,彼ら・彼女らが育む命も,彼ら・彼女らの生物学的生殖行為の結果として誕生したものには限られません.家族のなかで育まれるのは,まず,彼ら・彼女ら自身の命です.そして,新たな命が育まれることがあるとすれば,それは実子でも養子でも同じことです.

わたしは確信しています : Francesco 教皇が「神が欲したまう家族」と呼んだものは,以上のような「愛と命の聖匱」としての非家父長制的な家族のことである.(このことに関しては別稿で論じます.)

であればこそ,教会は神の家族であり,家族は家庭内の教会なのです.

独身者のことはここでは特に言及しませんでしたが,言うまでもなく,独身者にとっての家族は教会です.

愛と命の聖匱としての非家父長制的な新たな家族を,主が祝福してくださいますように.Amen !

ルカ小笠原晋也