2016-02-09

映画 The Case against 8

映画 The Case against 8 が,「ジェンダー・マリアージュ」という邦題のもとに公開上映されました.USA で同性婚が最終的に合法化されるに至る過程の一部を成す California 州での裁判闘争のドキュメンタリーです.

ひとくちで言うなら,今の日本ではおよそあり得ない社会正義実現の喜びと満足を与えてくれるすばらしい作品です.フィクションではなく,ドキュメンタリーであるだけに,なおさらです.

それにしても,ひどい邦題です.英語で社会学的な意味における「性別」を意義する語 gender のカタカナ書きと,フランス語で「結婚」を意義する mariage のカタカナ書きとの単なる並置 ! まったく無意味です.この邦題を考えた映画配給会社関係者は言葉に関する感性を全く欠いている,としか思えません.

どうしてもカタカナ表題にしたいなら,せめて「アゲインスト・エイト」とでもすれば良かったでしょう.どうせ日本で劇場公開される映画のタイトルは大部分,そのままでは意味不明なのですから.

ともあれ,原題の the case against 8 という表現を理解するには,若干の予備知識が必要です.

case は,裁判で扱われる案件のことです.そして,8 は,2008年11月に大統領選を含む幾つかの選挙と同時に行われた州民投票で可決された California 州憲法に対する修正提案第8号 : Proposition 8 を指しています.直訳すれば,「提案第8号に対する訴訟」です.短くすれば,「対8号訴訟」とでもなるでしょう.

8号提案により州憲法がどう修正されたのか?「結婚は異性間に限る」という「修正」です.

実は,California 州では一旦,同性婚は合法化されました.州最高裁は2008年5月,同性婚禁止を違憲と判断したからです.ところがそれは,保守的な共和党側に強い反発を生ぜしめました.彼らは「結婚は異性間に限る」という条項を州憲法に付け加えることを提案しました.それは,Proposition 8 [8号提案]と呼ばれることになります.そして,彼らの盛大なキャンペーンの結果,2008年11月に8号提案は可決されてしまいます.

その事態に対して,今度は,民主党側の政治コンサルタント Chad Griffin と Kristina Schake が法廷闘争を展開し始めます.彼らは,選挙運動をつうじてつちかってきた強大な資金網を動員して,American Foundation for Equal Rights (平等な権利のためのアメリカ基金)という NPO を立ち上げ,原告となる同性カップルを二組選び出し,そして,全米で最強の弁護士たちのなかからふたりを雇います.ひとりは,かねてから民主党側である David Boies. ところが,もうひとりは,共和党側である Theodore Olson.


写真は,The Case against 8 のなかの一場面です.向かって右が Chad Griffin, 中央が Kristina Schake, そして左が Theodore Olson.

Theodore Olson は,2001-2004年,Bush 政権下で合衆国訟務長官を務めた保守派法曹人です.ところが彼は,同性婚問題に関しては賛成派です.もしかしたら,彼の子どもたちのなかに LGBT の者がいるのかもしれません.事実は不明です.ともあれ彼は,同性婚合法化は権利平等の原理により達成されるべきである,と主張しています.

対8号訴訟は2009年5月,San Francisco にある合衆国地方裁判所に提訴されました.

判決は2010年8月に下されました:8号提案は違憲である.その理由:同性婚を認めない8号提案は,結婚という基本的権利の行使を妨げ,また,性的指向にもとづく不合理な差別を作り出す.判決文ではこう述べられています:

「California 州は同性愛者を差別することに利益を有しておらず,また,8号提案は平等に結婚を認めるべき憲法上の責務を California 州が果たすことを妨げているので,本法廷は結論する : 8号提案は違憲である.」

8号提案支持者側は控訴しました.しかし,2012年2月,合衆国控訴裁判所は地裁判決を支持する結論を下しました:

「8号提案は,California 州における同性愛者の地位と尊厳を損なうこと以外,如何なる目的にも役立たず,如何なる効果をも有してはいない.憲法には,そのような類の法規を許す余地は無い.」

8号提案支持者側はさらに上告しましたが,2013年6月,合衆国最高裁判所は,Dennis Hollingsworth 上院議員を代表とする被告側はそもそも控訴のための法的適格性を欠いている,と判断しました:

「訴訟当事者は,訴訟適格性を有していなければならない.その適格性は,就中,具体的かつ個別的な損害を被ったということを要請する.我々は,被告側はそのような適格性を有していない,と見る」.

こうして California 州における同性婚の合法性は回復されました.

ついでながら,USA 全体においては,James Obergefell を原告代表とする訴訟について,2015年6月,合衆国最高裁判所は,基本的人権の尊重と法の下の平等により結婚の権利は同性カップルにも保証されている,と判断したことによって,すべての州で同性婚は合法化されました.

以上の経過を映画は,原告となった二組の同性カップルの情動と原告側のふたりの弁護士の論理との二軸に沿って,臨場感豊かに描き出しています.

自己決定の権利,自由の権利,法的適正手続の権利,移動の自由の権利,思想の自由の権利,宗教の自由の権利,表現の自由の権利,平和的集会の権利,団体結成の自由の権利,我が子に対する親権行使の権利,privacy の権利などの諸々の基本的な権利のうちに,結婚の権利も正式に算入されました.それは,基本的人権の尊重と法の下の平等の原理に鑑みれば,あまりに当然なことです.

しかし,同性婚が世界で初めて合法化されたのは,2001年,オランダにおいてです.

現在,オランダと USA 以外では,アルゼンチン,ベルギー,ブラジル,カナダ,デンマーク,フランス,アイスランド,アイルランド,リュクセンブルグ,メキシコ,ニュージーランド,ノルウェー,ポルトガル,南アフリカ,スペイン,スエーデン,英国,ウルグアイで同性婚は合法化されています.全世界で20ヶ国だけです.(間もなくフィンランドもこのリストに加わります.)

先進国でも,同性婚容認が一般化したのはこの十数年間のことにすぎません.同性愛と同性婚に対する抵抗感は,それほどに強固なものです.

しかし我々は,そのような抵抗に屈せず,基本的人権と権利平等の原理にもとづき,断固として同性婚の合法化を目指して行きましょう.The Case againt 8 は,我々にそのための勇気を与えてくれます.

この映画が改めて教えてくれたもうひとつのことは,家族の概念の根本的な変化と,それにともなう新たな家族の再構築の動きです.

伝統的には,家族は基本的に家父長制的なものでした.ところが,全世界的に,第二次世界大戦終了後,特に1960年代以降,家父長的なものとしての父のいかさま性があらわになって行きました.いわゆる「父の権威」の失墜です.

家族のなかで,もはや誰も,生物学的な父親も含めて,伝統的な「父の機能」を引き受けようとしなくなりました.家族は解体してゆき,ほぼ完全に分解してしまいました.それにともなって,社会もすさんで行きました.

ところが,今世紀になって,従来のものとは根本的に異なる新たな家族が復活しつつあるようです.それは,非家父長制的な家族です.純粋に愛で結ばれたカップルが作る家族です.そのような家族は,言うなれば,愛と命の聖匱です.

愛と命の聖匱としての家族においては,当然ながら,愛し合うカップルが異性どうしか同性どうしかは本質的ではありません.

また,彼ら・彼女らが育む命も,彼ら・彼女らの生物学的生殖行為の結果として誕生したものには限られません.家族のなかで育まれるのは,まず,彼ら・彼女ら自身の命です.そして,新たな命が育まれることがあるとすれば,それは実子でも養子でも同じことです.

わたしは確信しています : Francesco 教皇が「神が欲したまう家族」と呼んだものは,以上のような「愛と命の聖匱」としての非家父長制的な家族のことである.(このことに関しては別稿で論じます.)

であればこそ,教会は神の家族であり,家族は家庭内の教会なのです.

独身者のことはここでは特に言及しませんでしたが,言うまでもなく,独身者にとっての家族は教会です.

愛と命の聖匱としての非家父長制的な新たな家族を,主が祝福してくださいますように.Amen !

ルカ小笠原晋也