5月22日,「保育園落ちた!選挙攻略法2016」という集会に参加してきました.(2016年5月26日付 Christian Today 記事参照).理路整然たる議論を以て国会で安倍晋三首相と論戦する今もっとも注目される代議士,山尾志桜里民進党政調会長が論者のひとりとなると聞いたからです.
この集会をわたしは,当然,feminist たちの集会と想定していました.LGBT+ の ally として sexism と闘う立場にあるわたしにとっては,feminism という語は sexism [単に「男尊女卑」ではなく,より一般的に,sexuality にもとづく差別]の反意語として何の違和感もないものであり,わたし自身,LGBT+ 活動家であると同時に feminist であると自認しています.ところが,日本の社会や論壇では「フェミニズム」という語に否定的な意味あいを感ずる者が少なくなってきたのは,ようやく最近のことのようです.この集会でも,司会者は,「今日ここにいらっしゃった皆さんをフェミニストと呼んでもいいですよね」と確認することから始めました.日本において feminism が社会的な運動としてより一般的になって行くのはまだまだこれからのことのようです.
feminism の歴史において lesbian たちは大きな役割を果たしてきました.女性の選挙権の獲得を主目的とした政治運動を the first-wave feminism と呼ぶのに対して,1960-1970年代のいわゆる women's liberation の運動を the second-wave feminism と呼びますが,それに属するフランスの代表的な féministe, Monique Wittig (1935-2003) は lesbian でしたし,1990年代から始まる the third-wave feminism の代表的な論者 Judith Butler (1956- ) もそうです.特に後者は,feminism のみならず,LGBT+ の人権運動も積極的に支持しています.
さて,本年2月15日付けの匿名日記記事 「保育園落ちた !! 日本死ね !!!」 にもとづいて山尾志桜里氏が国会で議論したことをきっかけに,育児や保育ならびに幼児教育のための公的な支援がまったく不十分であることに注目が集まったのは,周知のとおりです.この集会でも当然ながら,話題の中心はそのことでした.
ひとつ驚いたのは,日本では妊婦の家族にも産婦人科医師にも,無痛分娩に否定的な意見を持つ者が少なくない,という話です.陣痛を感じずに済むよう硬膜外麻酔を用いることは,産婦人科医ではないわたしにとっても医学的常識のひとつです.ところが,「陣痛に苦しんでこそ本当の母親になることができる」という奇妙な信念が日本社会の少なくとも一部には共有されているようです.昔の「スポ根」ものを思い出させる時代錯誤と言わざるを得ません.
また,the second-wave feminism の標語のひとつであった the personal is political [個人的なことは政治的なことである]が改めて強調されました.つまり,ひとりの女性が個人的に悩み,苦しんでいることは,実は,sexism という社会全体の問題に属しており,したがって,女性の個人的な問題の解決には社会全体の問題解決努力が必要不可欠である,ということです.このことは,現在の日本社会においてもそのまま妥当します.
そして勿論,今,LGBT+ の人々が個人的に苦悩している問題も,sexism という社会全体の問題に属しています.「個人的なことは政治的なことである」は,今,自身 LGBT+ である人々にとっても,ally にとっても,まったく actual な標語です.pro-LGBT+ 活動は sexism に対する闘いにおいて feminism と連帯することができるし,そうすべきです.
現在,日本の支配階級を構成する国粋主義団体,日本会議の意向にそって自民党がもくろむ新憲法制定の動きに関しても,家族にかかわる問題性の観点から幾つかの指摘が為されました.軍事力と戦争を放棄すると宣言している憲法第9条だけが重要なのではありません.
日本国憲法第13条では,「すべての国民は個人として尊重される.生命,自由,および幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」と述べられているのに対して,自民党草案では「すべての国民は人として尊重される.生命,自由,および幸福追求に対する国民の権利については,公益および公の秩序に反しない限り,立法その他の国政の上で最大限に尊重されなければならない」と述べられています.
日本会議の嫌う「個」が削除され,代わりに「公」が強調されています:「公益」と「公の秩序」.pro-LGBT+ 運動にとっては,「同性愛は公益および公の秩序に反する」と言い渡される可能性が心配されます.
次に,婚姻と家族に関する規定を含む日本国憲法第24条に関しては,自民党草案では次の条項が付加されています:「家族は,社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される.家族は,互いに助け合わなければならない」.
この文の前半部分は,1948年に国連総会で採択された世界人権宣言の第16条第3項から取られています : The family is the natural and fundamental group unit of society and is entitled to protection by society and the State (英語版:家族は,社会の自然的かつ基本的なグループ単位であり,社会と国家とによる保護を受ける資格を有する) ; La famille est l'élément naturel et fondamental de la société et a droit à la protection de la société et de l'Etat (フランス語版:家族は,社会の自然的かつ基本的な要素であり,社会と国家とによる保護を受ける権利を有する).
ところが,世界人権宣言の後半部分の「家族は,社会と国家とによる保護をうける資格ないし権利を有する」は自民党草案では削除され,代わりに「家族は,互いに助け合わなければならない」と付け加えられています.つまり,自民党は,家族を保護すべき社会や国家の義務を放棄し,逆に,家族に「自助努力」の義務を負わせています.この点について,自民党は,国連の人権理念に全く反しています.自民党草案に表されている家族の権利の軽視が保育園の不足を惹起していることは,明白です.
憲法24条に追加さるべきものがあるとすれば,それは,日本国憲法施行より後に採択された世界人権宣言のなかのこの一文:「家族は,社会の自然的かつ基本的な要素であり,社会と国家とによる保護を受ける権利を有する」です.
他方,憲法24条第1項は,同性婚を容認していないと解釈される可能性をはらんでいます:「婚姻は,両性の合意のみに基づいて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により維持されなければならない」.
ところが,世界人権宣言第16条の第1項と第2項には,こう述べられています:「結婚可能年齢となった者は,男も女も,人種や国籍や宗教に関する如何なる制限も無く,結婚し,家族を築く権利を有する.彼ら・彼女らは,結婚期間中,ならびにその解消の際,結婚に関して平等の権利を有する.結婚が結ばれ得るのは,配偶者どうしとなろうとする者たちの自由にして完全な同意を以てのみである」.つまり,同性婚を禁止する表現は全くありません.
この点については憲法を改正すべきです.つまり,同性婚が可能となるように,「両性」や「夫婦」の語を削除し,「婚姻は,結婚しようとする二人の合意のみに基づいて成立し,両者は同等の権利を有する」と改めるべきです.
集会の終了後,わたしは山尾志桜里氏に憲法24条の修正に関してどう考えているかを質問しました.彼女の答えは,同性婚が可能となるよう民進党は憲法改正案を作成している,というものでした.彼女は小柄で,握手のために彼女の方から差し出してくれた手も小さかったですが,その考えや話ぶりからは彼女の力強さが十分に感ぜられました.是非,彼女にこそ総理大臣になってほしいと思います.しかも,できるだけ早く.
ともあれ,以上から明らかなように,日本社会における LGBT+ の人権を主張する運動にとって,自民党政府に取り入ろうとするのは全くの見当違いです.稲田朋美氏を始めとする日本会議所属の政治家たちの本音は,「同性愛は公益および公の秩序に反するので,これを禁止する」です.
今後の国政選挙で自民党が勝利するなら,日本社会で LGBT+ の人権はますます制限されて行くでしょう.
ルカ小笠原晋也