2016-11-29

2016年12月の LGBT 特別ミサのお知らせ

2016年12月の第6回 LGBT 特別ミサについてお知らせします:

日時 : 12月18日(日曜日) 13:30 - 14:30

場所:都内(参加申込の方にのみお知らせします)

司式 : Juan Masiá(ホァン・マシア)神父様 SJ




マシア神父様は,周知のとおり,長年,上智大学や Comillas 教皇庁立大学で,人間学や生命倫理の教授をなさってきました.

避妊や妊娠中絶に関して,保守派のように一律に律法をふりかざすのではなく,教皇 Francesco と同様,苦悩をかかえた人々ひとりひとりに慈しみを以て寄り添い,ともに歩んで行くことを重んじていらっしゃいます.

今は,カトリック中央協議会の「正義と平和」協議会の「死刑廃止を求める」部会の長として,死刑廃止運動に積極的に取り組んでいらっしゃいます.

性的少数者の人々の苦悩に関しても御理解のあることは,言うまでもありません.

マシア神父様が LGBTIQ+ の皆さんとともに立ててくださる御ミサに,是非お出でください.

ミサ後の集いでは,マシア神父様を囲んで,性的少数者をカトリック教会へより良く包容するために何が必要とされているかを,LGBTIQ+ の皆さんとともに考えて行きたいと思います.

参加申込は こちら から.


2016-11-28

2016年11月27日,Sali Augustine 神父様の司式により第五回 LGBT 特別ミサが行われました

2016年11月27日,第五回 LGBT 特別ミサが,予定どおり,都内で行われました.

この御ミサを可能にしてくださった主の恵みに感謝します.

司式してくださった Sali Augustine 神父様 SJ に感謝します.神父様は,上智大学教授としての業務が非常にお忙しいなか,LGBT 信徒の司牧のためにお時間をさいてくださいました.

そして,ボランティアで手話通訳をしてくださった方に感謝します.

11月27日は,待降節第一主日でした.典礼歴では新たな一年の始まりの日です.

福音朗読では,「目覚めていなさい」と強調されています: いつ終末が到来してもよいように,いつキリストの再臨が起きてもよいように,常に目覚めていなさい.

Sali 神父様は,三つのサンスクリット語の表現を紹介してくださいました.それらをここでサンスクリット語のまま再現することはできませんが,神父様によると,意味はこうです: 闇から光りへ,偽りから真理へ,死から永遠の命へ.

サンスクリット語で「ブッダ」(Buddha) は「目覚めた者」です.その語源 bodhi は「目覚め」です.bodhi は,中国語では「菩提」と音転記されています.日本語で言う「悟り」です.

目覚めは,闇から光りへ,偽りから真理へ,死から永遠の命への目覚めです.

そのような目覚めに,ブッダは,長年の身体的苦行の果てに死にかけたときにスジャーターにより施された乳粥を食して蘇り得たことにより,到達した,と仏教説話には伝えられています.

他方,主に信頼するわたしたちには,そのような目覚めは,神の愛により,イェス・キリストにおいて,救済として恵み与えられています.

Sali 神父様は,ひとつの譬え話をしてくださいました:



昔,ある女が,毎日,天秤棒を両肩にかついで,川へ水を汲みに行っていた.天秤棒から下げられたふたつの瓶のうち,片方には小さな穴が開いており,川で一杯にしても女が家に着くときには水の半分はそこから漏れ出てしまう.穴の開いていない瓶は,穴の開いた瓶を,役立たずとバカにし,いじめていた.穴の開いた瓶は,ついに耐えきれなくなり,女に言った:「わたしは役立たずです.わたしを壊してください」.女は,穴の開いた瓶を連れて,毎日天秤棒をかついで通る道へ出て,言った:「ごらんなさい,道の両側のうち,あなたの側には,あなたから漏れ出た水のおかげで,何とたくさんきれいな花が咲いていることか」.その道を毎日通っているのに,穴の開いた瓶はそのことにまったく気づいていませんでした.女の愛のおかげで,初めて,穴の開いた瓶は目覚めることができました.

第二朗読で,聖パウロは言っています:「あなたたちは知っています,如何なる時にわたしたちがいるのかを:今や,眠りから覚める時です.実際,今日,救済は,わたしたちが信じ始めたときよりも,もっとわたしたちに近いところにあります」(Rm 13,11).

常に目覚めていることができますように.目覚めを恵み与えてくださる主に感謝して,祈りましょう.

ルカ小笠原晋也

教皇 Francesco による「六つの幸福」

教皇 Francesco による「六つの幸福」

2016年11月01日,Malmö の Swedenbank Stadion におけるミサの説教から


Beati coloro che sopportano con fede i mali che altri infliggono loro e perdonano di cuore ;

幸いなり,他者が加えてくる苦痛に信仰を以て耐え,こころの底から赦すことのできる者らは;


beati coloro che guardano negli occhi gli scartati e gli emarginati mostrando loro vicinanza ;


幸いなり,社会から拒絶され,辺縁に追いやられている者たちの目を見つめ,彼ら彼女らに近しさを表明する者らは;

beati coloro che riconoscono Dio in ogni persona e lottano perché anche altri lo scoprano ;

幸いなり,あらゆる人のなかに神を認め,かつ,そのことをほかの人々も気づくよう努める者らは;

beati coloro che proteggono e curano la casa comune ;

幸いなり,全人類の共同の家である地球のエコロジーを守り,救う者らは;

beati coloro che rinunciano al proprio benessere per il bene degli altri ;

幸いなり,他者のために自身の安穏を断念する者らは;

beati coloro che pregano e lavorano per la piena comunione dei cristiani.

幸いなり,キリスト者たちどうしが十全に交わることができるよう,祈り,働く者らは.

Tutti costoro sono portatori della misericordia e della tenerezza di Dio, e certamente riceveranno da Lui la ricompensa meritata.

それらの者は皆,神の慈しみと優しさを担う者であり,確実に,神によってふさわしく報われるでしょう.

2016-11-21

慈しみと包容 : 2016年11月12日,慈しみの特別聖年の接見での教皇 Francesco の説教

神の愛は,誰をも排除せず,あらゆる人を包容する.God's love excludes nobody, but includes everybody.

この命題は,わたしたち LGBTCJ の旗印です.

以下に御紹介する説教において,教皇 Francesco は,キリスト教における包容の本質的な重要性を強調しています.性的少数者のことを直接には話題にしていませんが,包容の鍵言葉のもとに,教皇は,LGBT 差別を含む如何なる差別をも許さない彼の司牧姿勢を明確化しています.

なお,inclusion という語が「包摂」と翻訳されているのをときどき見かけますが,わたしたちは以前から「包容」と訳しています.

慈しみと包容


2016年11月12日,慈しみの特別聖年の接見での教皇 Francesco の説教


親愛なる兄弟姉妹の皆さん,こんにちは!

土曜日に行われてきた特別聖年の接見も,今日で最後です.そこで,慈しみの重要な側面を指摘しておきましょう.それは,包容 [ inclusion ] です.

実際,神は,愛の御計画において,誰をも排除しようとはせず,而して,すべての者を包容したいと思っておられます.

例えば,神は,洗礼をとおして,キリストにおいて,我々皆を神の子としてくださいます.つまり,キリストのからだは教会であり,我々はその手足です.

その同じ基準を,我々キリスト者は用いるよう招かれています.

慈しみとは,このように行うことです:すなわち,慈しみにおいて,我々は,我々自身のうちへ – 我々の自己中心的な安心のうちへ – 閉じこもることを避け,他者を我々の生のなかへ包容しようとします.

先ほど朗読されたマタイ福音書の一節において,Jesus は,ひとつの本当に普遍的な招きを我々に向けて発しています:「皆,わたしのところに来なさい.あなたたちは皆,重荷を背負って苦しんでいる.そのようなあなたたちに,わたしは安らぎを与えよう」(11,28). この呼びかけから排除される者は,誰もいません.なぜなら,Jesus の使命は,あらゆる者に御父の愛を啓示することだからです.

我々の側が為すべきことは,心を開くことです.Jesus に信頼し,この愛のメッセージを受けとめることです.そうすれば,救いの神秘に入ることができます.

包容という慈しみのこの側面が明らかになるのは,排除せずに – 人々を,その社会的身分や言語や人種や文化や宗教に基づいて分類せずに – 受け容れるために両腕を大きく開くときです.

そのとき,我々の前には,ひとりの愛するべき人がいます – 神がその人を愛しているように,我々もその人を愛するべきです.我々が仕事で出会う人,近所で出会う人は,神がその人を愛しているように我々も愛するべきであるひとりの人です.

異なる国の出身であり,異なる宗教の信者であっても,神はその人を愛しており,我々もその人を愛するべきです.それこそが「包容する」ということです.それこそが包容です.

今日,どれほど多くの抑圧され,疲れ切った人々に出会うことか!通りでも,公的機関でも,病院でも... それらの人々ひとりひとりの顔に Jesus は目をとめます – 我々の目をとおして.

そのとき,我々の心はどうであるか?慈しみ深いか?我々の考えは,行いは,包容的であるか?

福音書は,ひとつの偉大な包容の御業(みわざ)の計画を人類の歴史のなかに認めるよう,我々に呼びかけています.その御業は,各人に呼びかけています:各人,各共同体,各民族の自由を完全に尊重しつつ,正義と連帯と平和において,兄弟姉妹としてひとつの家族を形成するように,そして,キリストのからだである教会のメンバーとなるように,と.

疲れ切った人々を,Jesus は,安らぎを見出すために彼のところへ来るよう,招いています.この彼の言葉は,なんと真であることか!

十字架の上で大きく広げられた彼の両腕は,このことを証しています:彼の愛と慈しみから排除される者は誰もいない.最も大きな罪を犯した者でさえ排除されていない.誰も!我々は皆,彼の愛と慈しみのなかへ包容されています.

Jesus のなかへ迎えられ,受け容れられている,と感じさせてくれる最も直接的な表現は,赦しの表現です.

我々には皆,神によって赦される必要があります.そして,我々には皆,我々が Jesus のところへ行くのを – Jesus が十字架の上で我々に与えてくれた贈りものに対して我々が自身を開くのを – 手伝ってくれる兄弟姉妹と出会う必要があります.

互いに壁を高くしあうのはやめましょう!誰も排除しないようにしましょう!

そうではなく,謙虚に,素朴に,御父の包容的な慈しみの道具になりましょう.御父の包容的な慈しみ:それです!

死んで復活したキリストの大きな抱擁を,聖なる母なる教会がこの世において継続して行くことができますように.この San Pietro 広場の柱廊も,キリストの抱擁を表現しています.

他者を包容するこの動きが我々に触れてくるにまかせましょう – 神が我々ひとりひとりを迎え入れてくださる慈しみの証人であるために.

2016-11-06

教皇 Francesco は言った:司牧者としてのわたしの仕事のなかに,homophobia が占める場所は無い

2016年10月30日,James Martin 神父 SJ に対するアメリカの LGBT カトリック団体 New Ways Ministry による Bridge Building Award [架け橋賞]授賞式の際に,教皇 Francesco の元教え子 Yayo Grassi 氏(68歳)は,教皇が彼にこう言ったと証言しました:

「司牧者としてのわたしの仕事のなかに,homophobia が占める場所は無い」.

cf. https://newwaysministryblog.wordpress.com/2016/11/01/there-is-no-place-for-homophobia-pope-francis-told-gay-former-student/





Yayo Grassi 氏は高校生時代,教職に就いていたイエズス会士 Bergoglio 神父の教え子のひとりでした.Grassi 氏が同性愛者であることを,Bergoglio 神父は当時から承知していました.ふたりの友情関係はその後もずっと続いており,2015年9月の教皇訪米の際には,教皇は,Washington DC の Vatican 大使館に Grassi 氏とその同性パートナーを迎え,個人的に会談しています.

2010年にアルゼンチンで同性婚が法制化された際,Grassi 氏は,ブエノスアイレス大司教 Bergoglio 枢機卿が修道女たち宛ての書簡のなかで同性婚を厳しく非難していると報道されているのを見て,驚きました.彼の知る Jorge Bergoglio は,そのようなことをする人ではなかったからです.そこで彼は,e-mail で,恩師に真意を問いただしました.それに対して Bergoglio 大司教は,Grassi 氏の表現によると,こう返答しました:

「わたしを信じてください.報道されているようなことをわたしは全然言っていません.わたしは,修道女たちに宛てた二通の手紙で,同性婚について何も意見表明をしないようにと彼女たちに要請しました.そこでわたしが述べた言葉を歪曲して,新聞は報道したのです」;「わたしを信じてください.司牧者としてのわたしの仕事のなかに,homophobia が占める場所はありません」.

教皇 Francesco の個人的な発言に関する Grassi 氏の以上の証言は,最近の LGBT friendly な教皇の発言とも整合的であり,作り話と疑う理由はありません.

むしろ,今年5月にイタリアで同性カップルの civil union が法制化されるに至る過程で同性婚反対派により幾度か引用された「2010年に Bergoglio 大司教は同性婚を非難していた」という話の真相が,このたびの Grassi 氏の証言により明らかになりました.

2016-11-01

LGBT 特別ミサ 第五回

この11月の LGBT 特別ミサは,27日(日曜日)13:30 から都内で行われます.(正確な場所は,参加をお申込みの方にのみお伝えします.)

今回司式してくださるのは,Sali Augustine (サリ・アガスティン)神父様 SJ です.



アガスティン神父様は,12使徒のひとり,聖トマスが伝道したと言い伝えられるキリスト教の伝統が生きているインドの Kerala 州の御出身です.1997年に来日し,現在,上智大学総合グローバル学部の教授です.

インドでは,キリスト教徒は少数派であり,多数派のヒンズー教徒から迫害されたこともありました.そのような少数派に御自身も属するアガスティン神父様は,民族や宗教を理由にして起こる共同体間の対立や紛争の現実,ならびに平和構築の可能性を,研究主題にしています.

性的少数者が社会のなかで如何なる立場に置かれているかについても,御自身のインド社会における少数者としての経験にもとづき,共感してくださっています.


御ミサの後は,いつものように,分かち合いの集いがあります.よろしければ御参加ください.

お問い合わせ,ならびに,参加申込は e-mail で 
lgbtcj@gmail.com へ,

または,電話:

090-1650-2207(ルカ小笠原晋也)

080-1307-3910(ペトロ宮野亨)

へどうぞ.