2017-04-28

Tokyo Rainbow Pride 2017 に参加しましょう

今年も 5月に LGBT の,LGBT による,LGBT のための祭典 Tokyo Rainbow Pride が開催されます.フェスティバルは代々木公園イベント広場で 6-7 日の両日,パレードは 7 日午後に行われます.

LGBTCJ は,昨年に続いて,フェスティバルに出展し,パレードにも参加します.ただし,7日の日曜日のみです.


LGBTCJ の booth は コ22-23 です.上の見取図で赤い矢印で標識したところです.メインゲートから野外ステージへ向かう通路に一番近いところです.向かい側は,資生堂の出店です.きっと,とても注目を集めるでしょう.

booth では,「LGBT とカトリック教義」増補改訂版の小冊子を配布します.


また,虹色の慈しみのイェス様をあしらった T シャツ,虹色の十字架,三種類のレインボーロザリオを販売します.





どうぞ,お立ち寄りください!

また,TRP 2017 で LGBTCJ の活動に共に参加してくださる方を募集しています.御連絡をお待ちしています.こちらから御連絡ください

TRP 2017 で,神の愛の福音を一緒に力強く宣言しましょう!

神の愛は,誰も排除せず,誰をも包容します.

あなたが現在,今あるように存在し,生きているのは,あなたが神に愛されているからです.世間や先祖や家のおかげではありません.

あなたが負い目に感じているかもしれないことを,神の愛はすべて取り除いてくださいました.神は,あなたを救済してくださいました.

あなたは,死者のうちから復活なさった主イェス・キリストと同じく,神が恵み与えてくださった永遠の命を今,現に生きています.

神の愛に感謝しましょう!罪からの解放と死からの復活を喜びましょう!

ルカ小笠原晋也

2017-04-25

Rainbow Life の交流会に参加して

バイリンガルゲートという IT 企業の社長が個人的な動機から (?) 始めたらしい sexual minority のためのポータル Rainbow Life が主催する交流会に,4月23日,日曜日の午後,参加してきました.開催場所である文京区の施設不忍通りふれあい館わたし(ルカ小笠原晋也)の自宅に比較的近いところにあるので,気軽に行ってきました.

主催者側からは,Rainbow Life の担当者,山梨純佳さんと,運営スタッフのひとり,鈴木伸二さんが参加しました.一般参加者は十数人.全部で二十人弱でした.年齢層は,20歳代から50歳代まで,さまざまでした(60歳代は,多分,わたしひとりだけ).sexuality については,gay, lesbian, bisexual, ally がそれぞれほぼ同数ずつと見受けられました.queer の人もいました.intersex と transgender は,今回の参加者のなかにはいなかったようです.

ふたつのグループにわかれて,それぞれで分かち合いが行われました.わたしが参加したグループでは,coming out が主要な話題となりました.

今回,coming out に関する困難や悩みを改めて聞いて,初めて気がついたことが幾つかあります.いずれも,普段おもな情報源にしている英語の記事における考え方と,日本での考え方との違いに関係しています.ひとつは,自身の sexuality を公にしないでいることを特に苦痛とは感じていない LGBs が少なからずいる,ということ.もうひとつは,coming out が身近な人々に与える効果を非常に強く気にする LGBs が多いということ.

英語圏では,多くの LGBT 団体がこう勧めています:自身の sexuality を隠して生きて行くことは,自分自身に対して嘘をつくことであり,様々な意味で苦痛である;だから,come out して,本来の自分を肯定し,自身に正直になり,より積極的に生きて行こう.

ところが,日本では,そのような考え方は必ずしも多数派ではないようです.むしろ,自身の sexuality を隠したまま生活していて特に問題は無いと思っている人に,今回,何人か出会いました.ちょっと驚きました.

それから,英語圏では,coming out が身近な人々に如何なる効果を与え得るかについては,ほとんど問題にされないだろうと思います.勿論,「come out して,受け入れられるか,拒絶されるか」という悩みはあります.そして,実際,coming out が身近な人々を驚かせたり,憤慨させたりすることもあるでしょう.しかし,そのような反応は,あちらの問題であって,こちらの問題ではありません.

それに対して,日本では,「come out することが,身近な人々にどのような 迷惑 をかけるだろうか」という悩みが非常に深刻であるようです.特に,「親不孝」になるのではないかという悩みが.

多分,「身近な人々に迷惑をかけてまで come out したくない」という思いが,「come out しなくても何の苦痛も無い」という考えの根底にひそんでいるのでしょう.

わたしがカトリックであると知って,ある人が「或る僧侶が,人間はすべて悪であると言っていた」と教えてくれました.わたしは仏教に関しては専門的な知識を持ち合わせてはいませんが,多分,『無量寿教』の言う「心常念悪,口常言悪,身常行悪,曾無一善」(心は常に悪を念じ,口は常に悪を言い,身は常に悪を行い,かつて善はひとつも無い)などの命題に基づいている思念でしょう.

わたしが驚くのは,その人も,その人が言及した僧侶も,仏教のそのような思念に関して平然としていられる,ということです.

輪廻転生のなかで幾世をも生き続ける衆生はすべて,本源的に悪であり,現世か来世において業(ゴウ)に関してつぐないを果たすことができたとき,やっと死(涅槃)へ滅することができる.そのような仏教の思念ほどに,現に存在しており,今を生きている人間について否定的な思考は,ほかにあるでしょうか?日本社会ほどに人間存在の尊厳をないがしろにしている社会は,戦争状態にある国々を除いて,ほかには無いとすれば,それは,仏教のそのような人間存在否定が日本人の mentality の基礎を成しているからではないでしょうか?

日本社会では,人間存在の尊厳はないがしろにされている.それは明白な事実です.被害者は枚挙にいとまがありません.何らかの意味で差別されている人々,社会的弱者と呼ばれている人々は,すべてそうです – 女性,外国人,貧困に苦しむ人々,部落差別に苦しむ人々,いじめを受けている人々,等々.そして,性的少数者も日本社会の被害者です.

そのような被害者である LGBT が「coming out は身近な人々に 迷惑 をかけてしまう」と思い悩む.この自己肯定欠如は,仏教だけのせいではないかもしれませんが,仏教に大きな責任があることは否定できないでしょう.

あらゆる人間は,神の愛し子です.あなたは,神に愛されています.あなたが今,ここに存在しており,生きているのは,あなたが神に愛されているからです.

神の愛による人間存在の肯定こそが,キリスト教信仰の根本を成しています.

「世間」や「他人」や「家」に「迷惑」をかけることを回避せねばならないと考える日本人の mentality は,自身の存在を根本的に規定するものが,慈しみ深い神ではなく,常に厳しく批判的であるそれらの他者(世間,他人,家)であることによっています.

もしわたしが他者たちに「迷惑」をかけることによって他者たちから拒絶されれば,わたしの存在は否定され,わたしが存在し続けることは不可能になってしまう.神との関係を識らない日本人は,そう思い込んでいます.

ところが,まことには,わたしの存在を可能にしているのは,世間や先祖や親の「おかげ」ではなく,神の愛です.

「誰それのおかげ」という表現には,わたしは他者に何かを負うており,つまり,その他者に対して負債を有しており,それゆえ,常に返済を迫られおり,それができていないがゆえに非難されている,という事態が含意されています.

それに対して,神の愛は無償です.神は,何の見返りも求めずに,あなたを愛し,あなたの存在を肯定しています.神の愛の前には,日本的な他者への負債は帳消しにされています.あなたの罪を,神はすべて赦してくださいます.

日本的な他者関係 (relation imaginaire) のなかに囚われて,まわりの人々に迷惑をかけることに思い悩む前に,まず,あなたの存在は神の愛により肯定されており,神の愛のなかに包容されているのだ,ということを知ってください.神は,あなたが本来的に生きることを,欲しています.神は,あなたが自身の真理をごまかしたり隠したりすることを,望んではいません.

あなたの coming out が何らかの否定的な結果を生ぜしめたとすれば,それは,あなたのせいではなく,あなたのまわりの人々が神の愛に反する態度を取っているせいです.そのような人々が神の愛に気づくことができるよう,祈りましょう.

交流会の場では,ほかの参加者の話を聞きたかったので,神の愛の本質的な重要性について多くを語ることはしませんでした.

社会的な差別は,人権蹂躙です.そして,「人権」は,「神の愛にもとづく人間存在の尊厳」の概念無しには,ただの空語です.実際,日本社会では,裁判官すら判決のなかで個人の人権を本当には尊重しないことが少なからずあります.

女性差別の問題も,性的少数者差別の問題も,人権問題です.それがいつまでも解決されないのは,人間存在の尊厳がないがしろにされているからであり,そして,それは,日本社会では神の愛を識るキリスト者が極端に少ないからです.

差別されている人々が神の愛にもとづいて日本社会を変えて行くことができますように!そして,そのことに協力し,そのために協働するのは,神の名においてキリスト者すべてに要請されていることです.

ともあれ,今回の交流会では,ほかの機会にお会いすることのできない方々と直接お話しすることができ,大変有意義でした.企画した主催者側の山梨純佳さんと鈴木伸二さんに感謝します.次回の交流会は06月11日に予定されています.都合がつけば,また参加したいと思います.

ルカ小笠原晋也

2017-04-16

主の御復活おめでとうございます!ルカ小笠原晋也


主の御復活おめでとうございます!

2017416日,復活の主日,LGBTCJ 共同代表,ルカ小笠原晋也は,皆様に心から主の御復活をお喜び申し上げます.

2013331日,就任直後の復活祭の Urbi et orbi の際に,教皇 Francesco はこうおっしゃいました:

キリストは復活なさいました!この知らせがあらゆる住まいに,あらゆる家族に届きますように 特に,より多くの苦しみがあるところに (...). とりわけ,すべての心にそれが届きますように.
なぜなら,すべての心にこの善き知らせが種撒かれるよう神は欲しているからです:イェスは復活しました.それは,あなたにとって希望です.あなたは,もはや罪と悪の支配のもとにはいません.愛が勝ちました!慈しみが勝ちました!慈しみは常に勝ちます! (...)
「イェスは復活した」とは何を意味するのでしょうか?このことです:神の愛は,悪よりも強く,死よりも強い.神の愛は,わたしたちの生を変えることができる.わたしたちの心のなかにある砂漠地帯に花を咲かせることができる.神の愛は,そうすることができるのです! (...)
キリストの復活の恵みを受けましょう!神の慈しみによって新たなものにしていただきましょう!イェスによって愛していただきましょう!彼の愛の力によってわたしたちの生を変えていただきましょう! 
そして,神の慈しみの道具になりましょう.神の慈しみの水路になりましょう その水路によって,神は,大地を潤し,創造全体を保持し,正義と平和の花を咲かせることができるのです. 
そして,復活したイェスに 死を命へ変える方に お願いしましょう:憎しみを愛へ変えてください,復讐を赦しへ変えてください,戦争を平和へ変えてください.

教皇がおっしゃるとおりに,主の復活の喜ばしい知らせが,すべての方に,とりわけ,神の愛に飢え渇く sexual minority の人々すべてに,届きますように!

つい先ごろ発売された岩波書店の月刊誌『世界』5月号で,「LGBT ブームの光と影」と題された特集が組まれています.日本において,自身が LGBTIQ+ である人にもそうでない人にも必読の有意義なテクストが掲載されています.それらを読んで改めて思ったのは,神の愛の本質的な重要性であり,そして,日本社会におけるその決定的な欠如です.

権利や人権と呼ばれるものは,神の愛し子である人間存在の尊厳にもとづきます.しかし,神の愛が識られていない日本社会においては,「権利」や「人権」は,所詮,裁判官もがしばしばないがしろにする空疎な法学用語にすぎません.

真摯に愛し合うカップルは,異性カップルであれ同性カップルであれ,慈しみ深い神の愛の徴であり,それとして祝福されます.しかし,家父長主義的な日本社会では,個人どうしの愛よりは戸籍制度が優先されます.

神の愛を識らないがゆえに隣人愛をも識らない日本人たちは,互いに異なる個人をその多様性において尊重することができず,「皆と同じ」ではない者の存在は許しがたいことだと感じており,差別されている者の苦悩に非常に鈍感です.

そのような日本社会のなかで,わたしたちキリスト者は,砂漠を潤す神の愛の水路でありたいと思います.

しかるに,もしカトリック教会が,聖書の文言や伝統的な慣習を盾に取って,性的少数者に何らかの制限や強制を加えたままでいるとすれば,それは,神の愛の働きを妨げることです.

そも,神の愛は,誰をも排除せず,而して,あらゆる者を包容します.

如何にカトリック教会が性的少数者を包容し得,そして,如何に彼らがそのなかで活躍して行き得るかは,女性の立場の問題とともに,21世紀のわたしたちの教会にとって決定的な試金石となるでしょう.

律法の文字にとらわれた死せる教会となるか,それとも,神の愛と息吹によって生きる教会となるか,それがかかわっています.

主の御復活の喜びのうちに,


ルカ小笠原晋也

主の御復活おめでとうございます!ペトロ宮野亨


主の御復活おめでとうございます!

2017年4月16日,復活の主日,LGBTCJ 共同代表,ペトロ宮野亨は,皆様に心から主の御復活をお喜び申し上げます.


さびしい夜をこえて


私たちは普段,イエスとの三つの体験を日々重ねています.それは,愛されている体験,ゆるされている体験,招かれている体験です.

四旬節の間は特に,この三つの体験を深く感じられた方も多いと思います.

そして,聖木曜日を迎えます.イエスが逮捕されたまま孤独に過ごした聖木曜日は,「さびしい夜」と呼ばれています.長い夜です.

イエスがどれほどの孤独感を感じられたかを,私は,祈りで,少しだけ感じています.孤独感は普段も心から消えません.

LGBTCJ のミサで皆様と出会うとき,この孤独感が花開き,連帯感に変わっていきます.本当に心から感謝しています.

さて,バルタザール神父は,『過越の神秘』という著書の中で,イエスの三つの歩みを分かちあってくださいます.それは,十字架への歩み(聖金曜日),死者への歩み(聖土曜日),御父への歩み(復活の主日)です.

イエスがどんな気持ちでこの歩みをされたのかは,想像するしかありません.そこで,この想像を日々培う手立てがあります.

ミサで御聖体をいただく私たちは,「御聖体にまでなって,私たちの中に入っていこうと望まれるイエスの心を毎回味わう」ことができます.

私の味わいでは,イエスおひとりで私の中を歩まれ,私の体は「さびしい夜」をこえて,私の中を歩まれる主イエスの喜びを毎回感じます.

御復活に感謝.

四旬節にいただいた「神を感じるための七つの祈り方」


四旬節を味わう時に,私は特に「十字架上のイエスの心を感じたい」と願います.十字架の根本にひざまずき,御血のしたたる御子を見上げて祈ります.

七つのお言葉だけしか書かれていないのですが,この長年の祈りと願いの過程で,私は七つの祈り方をいただきましたので,分かちあいます.

神を体感(体で感じる)・心感(心で感じる)したくて,私は七つの祈りをしています.その七つのいのりは:

御父への祈り

御子への祈り

御聖霊への祈り

御父と御子の交わりへの祈り

御父と御聖霊の交わりへの祈り

御子と御聖霊の交わりへの祈り

御父と御子と御聖霊の交わりへの祈り

です.

七つの祈りの体感・心感は,すべてユニークです.多様な味わいに心から感謝が生まれます.

例えば「御父と御子」の時に,最初から交わりで感じる時と,御父と御子がそれぞれいて,だんだんひとつに交わっていく過程も感じる時があります.

また,御聖霊にお願いして御子の処へ連れて行ってもらい,御聖霊と御子にお願いして,御父の処に連れて行ってもらうという祈りもします.

「すべてを静かにする静かなるもの」である御交が,静けさと愛の熱風をくださることもあります.

人類も多様で,神も多様だという確信は,この七つの祈りで深まっていきます.

ペトロ宮野亨


2017-04-14

「カトリック新聞」に LGBTCJ に関する記事が載りました

「カトリック新聞」2017年04月02日付の p.2 に,LGBTCJ に関する記事が掲載されました:


Web 版の記事はこちらです.

本年02月19日の LGBT 特別ミサの際に行われた取材にもとづいています.

LGBTCJ の活動に関心を持ってくださった「カトリック新聞」に感謝します.また,インタヴューに応じてくださった方々に感謝します.

如何にカトリック教会が性的少数者の人々を包容し得,そして,如何に彼らがそのなかで活躍して行き得るかは,カトリック教会内の女性の立場の問題と並んで,カトリック教会にとって決定的な試金石となるでしょう.

律法の文字に拘泥する死せる教会となるか,それとも,神の愛と息吹によって生きる教会となるか,それがかかわっています.

ルカ小笠原晋也