2017-08-10

ブラジルの司教が「同性愛は神からの賜である」と説教



ブラジル Caicó 教区の司教 Antônio Carlos Cruz Santos は,730日の説教で「同性愛は,神からの賜である」と述べました.それに対する大きな反響を受けて,司教は86日,教区の website 声明を発表しました.そこにおいて彼は,LGBTQ+ の人々の自殺率が高いことを改めて指摘し,「死を惹起する偏見を克服し,命を救うことが,わたしの意図するところである」と述べました.

司教が730日,Caicó 教区の聖アンナ祭を締めくくるミサで行った説教の内容を,我々は,Crux 紙の記事にもとづいて,次のように要約します:

わたし(Cruz 司教)は,あるとき,ラジオで,transgender の人々の高い自殺率に関する研究について聞いた.そして,奴隷制が容認されていた時代の黒人と同様に,今 LGBTQ の人々が被っている社会的な偏見や誤解について考え始めた.

我々の SOGI (sexual orientation and gender identity) は,我々自身が選べるものではない.選択は自由意志において為されるが,自身の SOGI が如何なるものかを我々はあるとき所与として気がつくだけである.

我々は,sexuality を尊厳ある倫理的なしかたで生きることもできるし,逆に,放埒なしかたで生きることもできる.それは,SOGI の如何にかかわらない.

また,WHO は,LGBTQ をもはや精神疾患とは見なしていない.

選択でもなく,疾患でもないなら,信仰の観点においては,LGBTQ であることは神からの賜以外のものではあり得ない.

それに対して,我々が有する偏見は,神からの賜ではない.例えば,奴隷制が容認されていた時代,黒人は人間とは見なされていなかった.黒人には魂は無いと言われていた.それは,偏見のせいであった.

我々は,福音の知恵において,そのような偏見を克服するために跳躍することができた.奴隷制の容認から否定へ,両者を隔てるギャップを飛び越えることができた.まさにそのときのように,我々は,今や,同性愛に対する偏見を克服するために跳躍すべきである.

Papa Francesco は,慈しみをカトリック教義の出発点としたいと思っている.主 Jesus Christ は,慈しみのためにこそ,十字架上で高い代価を支払ってくださったのだ.

以上のような内容の説教に対して,称賛とともに,少なからぬ批判が起こりました.そこで,Cruz 司教は,86日,教区の website 声明を発表しました.そこにおいて司教は,カトリック教会のカテキズム 2358 段(注)を改めて引用しつつ,自殺を引き起こすような偏見を神の慈しみの力動において克服し,人々の命を救うことこそが,彼の意図するところである,と述べています.

(注)カトリック教会のカテキズム 2358 段:「無視し得ない数の男女が,根本的な同性愛傾向を呈している.(...) 彼ら・彼女らは,同性愛者としての自身の条件をみづから選んでいるのではない.彼ら・彼女らは,敬意と共感と気遣いとを以て受け容れられねばならない.彼ら・彼女らに対してあらゆる不当な差別の刻印は避けるべきである.それらの人々は,自身の人生において神の意志を実現するよう呼びかけられているのであり,また,もし彼ら・彼女らがキリスト教徒であるなら,同性愛者としての条件のせいで遭遇し得る諸困難を主の十字架の犠牲と結びつけるよう呼びかけられている.」

ルカ小笠原晋也