イム牧師は,LGBTQ 人権擁護活動と,LGBTQ 関連の神学書(特に The Queer Bible Commentary)の翻訳のために,韓国の保守的な教派から「異端」として断罪されています.勇敢な彼女を,主がおおいに祝福してくださいますように!
会場で配布された資料によると:
毎年 9 月は,韓国のプロテスタント教会の総会が開かれる.(...) 今年の総会では,同性愛というテーマが大きな波紋を呼んだ.問題の発端は,sexual minority に対して牧会を行っている基督教長老会のイム・ボラ牧師について,他の長老会(合同,統合,高神,大神,合神),基督教大韓監理会 (Methodist), 基督教大韓聖潔教会 (Holiness), 基督教韓国浸礼会 (Baptist) など八つの教派が,彼女は「異端的思想」を持っている,と研究結果を発表したことである.そして,おもな長老教会の教派は,総会において,sexual minority に対して牧会を行っているイム牧師を「異端」と規定した.また,「同性愛者や同性愛擁護者に対する神学校入学不許可」,「同性愛を擁護して教える教職員は,懲戒措置としなければならない」,「同性愛者や同性愛支持者は,長老,執事,勧士などの教会役員になれない」ことを決議した.この決定をした教派に属する信徒は,約七百万人である.しかし,決議の翌日,韓国最大の長老派の神学校である長老会神学大学の総学生会と学内諸団体は,「教会は嫌悪の銃剣に対抗する最後の砦である」という声明文を発表し,総会決議に抗議した.彼らは,「ガラテヤの信徒への手紙」3 章 28 節を用いて訴えた:「もはや,ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由な身分の者もなく,男も女もありません.あなたがたは皆,キリスト・イェスにおいてひとつだからです」.(日本聖公会東京教区教区機関紙「コミュニオン」秋号より)
講演において,イム牧師は,まず,韓国におけるキリスト教会が直面している問題のひとつとして,若者の教会離れを指摘しました.
韓国では,総人口約五千万人の約 1 / 3 がキリスト教徒であり,プロテスタントとカトリックの比は約 3 : 2 である,と言われています.キリスト教徒人口が総人口の 1 % にも満たない日本の状況とは桁違いの規模です.
しかし,特にプロテスタント教会においては,過度な拡大政策や過剰に熱心な信徒獲得活動などのせいで,かえって若者たちは教会から離れて行っているそうです.
そこで,イム牧師は,Martin Luther の原理,sola gratia, sola fide, sola Scriptura を思い起こし,宗教改革の精神の原点に立ち返る必要性を指摘します.
(それは,あらゆるキリスト教会について妥当することです.カトリック教会においても,第 II Vatican 公会議において提起された「宗教改革」は,Papa Francesco のもとで,保守的な抵抗勢力に対抗しつつ,ますます推進されて行きつつあります.)
次いで,「異端」とは何か,とイム牧師は問います.
我々は,歴史上,根本的な三位一体の教義を否定する Arianism, 善悪二元論や精神と物質の二元論を取る gnosticism などを異端として知っています.また,教祖が自身を「救世主」と僭称する統一教会(現在の名称:世界平和統一家庭連合)は,韓国において異端のひとつの代表例です.
それに対して,神の愛による救済を求める人を,その人の SOGI が如何なるものであれ,祝福し,教会に迎え入れることは,何ら「異端」ではありません.
(実際,『カトリック教会のカテキズム』は,その 2358 段においてこう言っています : LGBTQ+ の人々は「敬意と共感と気遣いとを以て受け容れられねばならない」.そして,Papa Francesco もこう言っています:「もしここに同性愛の人がいて,誠意ある人であり,神を探し求めているなら,わたしは,その人を断罪する者では全然ない」.)
保守派プロテスタント教会は,自身の「正統性」と「正当性」を社会的に演出するために,イム牧師に「異端」のレッテルを貼って,彼女を scapegoat にしたてあげた,ということができるでしょう.
Luther の sola gratia, sola fide, sola Scriptura に立ち返るなら,もし仮に保守派が聖書のなかに「同性愛」断罪の律法を読み取るのだとしても(実際には,今我々が「同性愛」と呼んでいるものについて,聖書は何も言っていません),義とされるのは,律法の業(わざ)によってではなく,恵みと信仰によってのみである,ということを,保守派はまったく忘れてしまっているようです.
勿論,韓国のキリスト教会のなかには,イム牧師自身が所属する基督教長老会を始め,彼女を支持する人々もたくさんいます.
韓国の世論においては,やはり,世代が若いほど,LGBTQ+ に対してより親和的であり,同性婚についても賛成する者がより多くなる,という傾向があります.今の若い世代が社会で中心的な役割を担うようになれば,homophobia はより減少して行き,同性婚法制化の可能性も高まるでしょう.
最後に,イム牧師は,韓国各地の「クィア文化祭」の様子を写真や動画で紹介してくださいました.
わたしは,韓国での "queer" という語の使われ方に興味を持ち,そのことについてイム牧師に質問しました.
なぜ韓国では Pride Parade の行事をそう呼ぶようになったのか,正確な理由はわかりません.日本では LGBTQ+ に関する文脈において "queer" という語を「クィア」とカタカナ書きして用いることはほとんどないのに対して,韓国では,その語は,特に否定的な意味合いも無く,受け入れられているそうです.
"queer" は,元来は「へんな,おかしな」であり,LGBTQ+ に関して侮蔑的な意味合いで用いられていたこともあります.ですから,英語圏では,その語を嫌う LGBTQ+ の人々もいまだにいるようです.しかし,今は,より多くの場合,LGBTQ+ 自身が "queer" を逆手に取り,それによって,或る種の個性,独自性,創造性が主張されています.わたしは,ですから,その語が好きです.
今,日本社会においては,「LGBT も『普通』の人と変わらない」という "normalization" のメッセージがよく見受けられます.しかし,それは,下手をすると,日本会議イデオロギーのもとに自民党が主導する全体主義体制のなかに LGBT も取り込まれてしまう危険性を招きかねません.特に,LGBTQ+ のなかで社会的,経済的に比較的恵まれた状況にある gay はそうなりやすいのではないか,と危惧されます.
LGBTQ+ に対する社会的差別については,それを告発して行かねばなりません.しかし,"normalization" を求めるあまり,LGBT の一部が Donald Trump を支持する USA の状況と同様の事態が日本でも生じ得るとすれば,それは望ましいことではありません.
全体主義のイデオロギーのなかに浸りきった者たち以外の者は,誰しも queer です.そして,キリスト者は皆 queer であるはずです.なぜなら,主 Jesus Christ に従う者たちは「この世のものではない,わたしがこの世のものでないのと同様に」(Jn 17,16) と Jesus 自身が言っているからです.
支配者たちによって断罪され,十字架にかけられて処刑された Jesus Christ と同様に「この世のものではない」とすれば,我々は queer 以外の何でしょうか?キリスト教は,本質的に言って,queer spirituality である,とわたしは思います.
しめくくりに,イム牧師は,今年 7 月にソウルで行われた第18回クィア文化祭における「祝福の祈り」の様子を収めた動画を見せてくださいました:
The Queer Bible Commentary の韓国語訳は,イム牧師とともに十数人の翻訳者チームが二年をかけて既に完成させたそうです.その出版に先だって,Patrick Cheng の Radical Love(邦訳)の韓国語訳が出版される予定だそうです.
韓国においても日本においても,あらゆるキリスト教会が,あらゆる社会的差別を解消するために活動し,そして,LGBTQ+ のためにより包容的となって行くことができますように.