USA で2015年06月に合衆国最高裁判所が「同性カップルにも結婚の権利は認められるべきだ」と判断するに至るまでの同性愛者人権運動の歴史を,特に弁護士 Evan Wolfson 氏と彼が主導した結婚の平等の実現のための社会運動 Freedom to Marry[結婚する自由]に焦点を当てて振り返ったドキュメンタリー映画 Freedom to Marry の上映会と,Wolfson 氏の講演会が,13日晩,LLAN の主催により,日本橋の Bank of America Merrill Lynch 社内のホールで開かれました.
わたしは二年前,Wolfson 氏の初来日のときに彼に会いました.そのときはこの映画はまだ完成されておらず,「楽しみにしていてくれ」と彼は言っていました.
今回の彼の来日のことに関しては,こちらの新聞記事で取り上げられています.
13日の晩は,会場で,我々の友人,文京区議,前田邦博さんにも会いました.
同性婚の問題についてであれ,人権一般の問題についてであれ,日本ではおよそ期待し得ない社会正義の実現の物語を聞くことは,大きな喜びと勇気を我々に与えてくれます.
Evan Wolfson 氏は,1957年に NYC で生まれ,1983年に Harvard Law School で法学博士号を取得しました.その際に提出された学位論文 Samesex Marriage and Morality : The Human Rights Vision of the Constitution[同性婚と道徳:憲法の人権観]において,彼は,同性愛者の結婚の権利を主張する議論を大胆に展開しました.当時,同性愛者のカップルが結婚する可能性について真剣に考えていた者は,USA でもほかに誰もいなかったでしょう.
彼は,結婚の平等のための彼自身の社会運動の出発点を,この1983年に置いています.ですから,2015年に同性婚合法化の成果が得られるまで,32年かかったわけです.そのゴールに向けて,彼はその間,たゆまず努力し続けました.この粘り強さは,実に,敬服に値します.
それを支えるものは,希望です.今,日本人の大多数にとっては,持つことが最も困難なものです.
そして,論理の明晰性です.法のもとでは,あらゆる人間は平等であり,平等に権利を有している.結婚の権利に関しても然り.実に明晰な論理です.
しかし,この法治国家の大原則も,日本社会では実際には通用しません.たとえば,最高裁は,夫婦別姓を認めようとせず,結婚によって姓を変えない権利(男にとっては言うまでもなく認められている権利)を女性には認めようとしません – 法ではなく,家父長主義的イデオロギーを優先するせいで.
Wolfson 氏は,2003年に,結婚の平等を実現するための全国的な社会運動組織 Freedom to Marry を立ち上げます.2015年の最終的な勝利に至るまでのその歴史は,Freedom to Marry のこちらのページに紹介されています.
結婚を男女間に限ろうとする保守派の激しい反対運動に対抗し,先入観にとらわれた世論を草の根のレベルから変えて行く根気づよい努力の物語は,実に感動的です.しかし,果たして日本社会で同様のことは可能だろうか,といつも考え込んでしまいます.
キャンペーンを張ろうとしても,日本会議に代表される保守的イデオロギーに同調する企業の資金力に勝てるはずはない.たとえ今,日本での世論調査では同性婚に賛成する者の方が若干多くても,保守派の大規模な広告作戦によって賛否は簡単に逆転してしまうに違いない.そのとき,果たして,外資系の大企業が日本における同性婚法制化の実現のために資金提供する可能性など,あるのだろうか?...
また,そもそも,日本人社会は「議論する」ということが成り立たない社会です.日本人は,「上」からの命令の言葉を聞くだけで,議論において相手の言葉に耳を傾けようとする態度に欠けているからです.日本の教育制度のみごとな成果です.
日本で世論を同性婚賛成の方へ持って行くには,誰もが知るような有名人が「わたしは同性パートナーと結婚したい」と涙ながらに訴えて,同情を買うしかないのではないか,とわたしは空想しています.
講演の後,結婚の平等のための社会運動と feminism との連携について Wolfson 氏に質問しましたが,両者の連帯は大切であり,当然だ,というような一般論のレベルでの答えしか返ってきませんでした.この問題についてもっと具体的な答えを得るためには,Freedom to Marry の lesbian のメンバーに質問する方が,より適切でしょう.
また,今回は会場が USA の大企業の東京支社のなかにある大ホールであったため,余計にそう思わされましたが,結婚の平等を実現するための社会運動と LGBT の人権を擁護するための社会運動において,結局は respectability politics[社会的差別を解消して行くために,被差別者が差別的な多数派の社会規範のなかで敬意を払われるような社会的地位を獲得することを重要視し,差別者側に被差別者側を受け入れさせることを軽視する考え方]が優先し,LGBTQ+ のなかで経済的に不利な立場に置かれている人々や,既成の社会規範のなかに収まりきらない queer な存在の人々が取り残されてしまうことになるのではないかとの危惧を,改めていだかされました.
カトリック教会が LGBTQ+ の人々に神の愛の福音を伝え,彼れらを教会へ迎え入れるとき,まさに Jesus が手本を示してくださっているように,社会のなかで最も辺縁に追いやられている人々を最優先することを忘れてはならない,と改めて思いました.
ルカ小笠原晋也