2018-03-09

James Martin 神父様のスピーチ : LGBT カトリック信者のためのスピリチュアルな気づき



今月 6日に Building a Bridge : How the Catholic Church and the LGBT Community Can Enter into a Relationship of Respect, Compassion and Sensitivity[橋を架けよう ‒ カトリック教会と LGBT の⼈々とが敬意と共感と気遣いの相互関係に⼊れるように]の増補改訂版が出版されたのに合わせて,James Martin 神父様の新しい動画 Spiritual Insights for LGBT Catholics が発表されました.


そのテクストも,イエズス会の週刊誌 America に掲載されています.

翻訳して,御紹介します:

LGBT カトリック信者たちのためのスピリチュアルな気づき


こんにちは!イエズス会の司祭,ジェームズ・マーチン神父です.『橋を架けよう』の著者です.

この数ヶ月間,わたしは,多数の LGBT カトリック信者から便りをもらいました.信仰や教会内の居場所について葛藤をかかえている人々です.質問のうち最も共通していたのは,カミングアウトに関することです.つまり,自身の性的指向または性同一性の現実を家族や友人と分かち合うことです.多くの人々にとって,若い人でも年配の人でも,カミングアウトは怖ろしい経験であり得ます.特に「教会は または,神様は ,なんだか,わたしのことを嫌いなんじゃないか」と感じている場合は.しかし,カムアウトした後でも,なおも,信仰とも教会とも葛藤が続く場合もあります.

そこで,心にとめておいて欲しい五つのことを挙げましょう.

1. 神は,あなたを愛している.

それは,基本的なことであり,自明なことでさえあるでしょうが,しかし,特に,「わたしは,ほかの人々から愛されていない,受け入れられていない」と感じている LGBT の人々にとっては,重要な気づきです.神は,あなたを創造しました.ですから,神はあなたを愛しています.

「どうしてわかるの?」と,あなたは質問するかもしれません.お答えするなら,まずは,「神はあなたを愛している」は,旧約と新約両方の最も基本的なメッセージのひとつです.旧約は,神がイスラエルの民と結ぶ契約 揺るぎない結びつき の物語です.神は,イスラエルの民を愛しており,わたしたちを愛している ‒ たとえわたしたちが何者であっても.そして,新約は,イェスにおいてわたしたちに愛を示してくださる神について語っています.イェスは,彼の全人生をとおして,人々を愛します.そして,「神はあなたたちを愛している」ということを人々に知らせます.ひとことで言うと,第一ヨハネ書簡が言うとおり,「神は愛である」.

聖書に書かれてあることに付け足すなら,あなたの人生のなかで,あなたを愛し,あなたを受け入れ,あなたのために最善のことを望んでいる人々すべてのことを,思い起こしましょう.彼れらをとおして,神の愛は働いています.ほかにどのようにして神は御業(みわざ)を行うというのでしょう?神は,そのように,あなたを愛しています.

でも,ときとして,こう考える LGBT の人々もいます:「わたしが打ち明けない限りで人々はわたしと仲良くしてくれるが,もしカムアウトすれば,わたしを愛してくれる人は誰もいなくなるだろう」.確かに,多くの場所で,LGBT の人々は,さまざま理由で拒絶されます 恐れのせいで,無知のせいで,偏見のせいで.悲しいことに,ときとして,拒絶が宗教的信念にもとづいている場合さえあります.アメリカ合衆国内でホームレスになっている LGBT の若者たちに関して為されたある研究によると,彼れらが家から追い出された主要な理由は,彼れらの親の宗教的信念でした.しかし,あなたを本当に愛している人々は,ありのままのあなたを受け入れてくれます.そのような愛を見つけるのに時間がかかる場合があるとしても.

今,あなたを愛し,受け入れてくれる人が本当に誰もいないと思われる場合は,あなたの心のなかを見てごらんなさい.たとえば,あなたは,きっと,豊かで充実した人生をおくりたいと望んでいるでしょう.そのような思いはどこから来ると思いますか?神からです.神の声が,あなたを,より自由になるよう,招いているのです.神は,あなたのためにそう望んでいる なぜなら,神はあなたのことを思っているから.

ですから,単にあなたが LGBT であるという理由で「神はあなたを憎んでいる,あなたを拒んでいる,あなたを断罪している」と言うような人々の言葉を聞いてはなりません.それは間違っています.ですから,一瞬たりとも耳を貸すに値しません.かわりに,神のあなたに対するあわれみ深い愛に,あなたの存在を中心づけてください.そして,神の愛のしるしを内でも外でも探してください.

2. 神はあなたを創造した.

もしあなたが LGBT なら,「神はあなたを創造した」はもうひとつの重要な気づきです.声望ある精神科医,心理学者,生物学者なら,誰でも,こう言うでしょう:あなたは,男であるか女であるかをみずから選んで生まれてきたわけではないだけでなく,異性愛者であるか同性愛者であるかをみずから選んで生まれてきたわけでもない.ですから,あなたが性同一性や性的指向に関してどうであるかについてあなたに罪があるかのように思わされないようにしましょう.それは,左利きに生まれたか右利きに生まれたかと同じようなことです.

神は,あなたがあなた自身のことを知るよう望んでおり,あなたがあなた自身の存在を神からのすばらしい贈りものとして受け取るよう望んでいます.詩篇13914-15節が言うように,あなたは「母の胎内で編み上げられ」,「すばらしく作られ」ました.あなたは,すばらしい存在であり,唯一無二の被造物です.ですから,忘れないでください:神はあなたを創造し,あなたのことを知っており,あなたを愛しています.

3. 神は,あなたの味方である.

預言者エレミアは,すばらしい神の言葉を伝えています:「主は,こうおっしゃる:『わたしは,あなたたちについてわたしが立てた計画を知っている.それは,繁栄の計画であり,不幸の計画ではない.わたしは,あなたたちに,未来と希望を与える』」(Jr 29,11).

言い換えると,神はあなたのために善いことを計画しており,あなたの味方です.ときとして,「わたしは人生のなかで孤独だ」というように感ぜられることもあるかもしれません.しかし,あなたを創造した神は,あなたのために最善のことを望んでもいます.そして,神は,それを実現させることを手助けするために働きます.ですから,もしあなたが今,人生は辛いと感ずるなら,思い出してください:あなたは,あなたひとりだけで孤独にボートを漕いでいるわけではありません.誰かが,あなたと共にボートのなかにいて,同じ方向に進むよう漕いでいます.

4. イェスは,あなたのことを思っている.

福音書がわたしたちに示しているように,イェスは,公の宣教活動の間,特に,「わたしは無視され,拒絶され,差別されている」と感ずる人々に手を差し伸べました.何度も何度も,イェスは,取り残されたと感ずる人々のところへまず行きます.彼は話しかけます,当時忌み嫌われていた徴税人に.彼は話しかけます,サマリア人の女性に 当時,それは,ユダヤ人なら絶対しないことでした.彼は話しかけます,ユダヤ人社会に属していないローマ人である百人隊長に.さらに,イェスは,貧しい人々,病気の人々のところに行って,彼れらに話しかけ,彼れらの話を聴き,彼れらを慰め,癒します.イェスは,常に,排除されていると感ずる人々の側に立ちます.

では,今日,どこにイェスはいらっしゃるでしょう?もしあなたが「わたしはアウトサイダーだ」というように感じているなら,彼は特にあなたと共にいます.さらに言えば,多くの場面でイェス御自身がアウトサイダーです.人々はしばしば彼を拒絶しますから.ですから,あなたが経験していることを,彼はよくわかっています.おぼえていてください,イェスは格別な愛であなたのことを思っている,ということを.

また,事態は改善し得る,ということも忘れないでください.イェスの「生と死と復活」の最も重要なメッセージのひとつは,何か新しいものの希望が常にある,ということです たとえ今はそれが見えていなくても.ちょっと考えてみましょう:イェスが十字架にかけられて処刑された直後,弟子たちはどんな気持ちだったか.彼れらはこう思ったでしょう:事は済んでしまった.何も変えられない.しかし,ほんの三日後に起こることは,事態は常に変わり得る,ということを示してくれます.それが,イェスの「死者のうちからの復活」の意味のひとつです.愛は,憎しみよりも強い.希望は,絶望よりも強い.苦しみは,決して最後の言葉ではありません.事態は改善し得るのです.

5. 教会は,あなたの家である.

ごらんなさい,あなたは洗礼を受けています.それは,あなたはまさに教会の一員だ,ということです.あなたは,教皇や司教や司祭やわたしがそうであるのとまったく同等に,教会の一員です.あなたの洗礼のとき,イェス御自身が,教会の一員となるようあなたを呼んだのです.ですから,誰かが「そうではない」とあなたに言ったり,洗礼の秘跡の恵みをあなたから奪い去ることは,許されません.

教会があなたの家であるためには,あるがままのあなたを歓迎し,肯定してくれると感ぜられる小教区を見つけることが,重要です.あなたがそのような小教区を探しているなら,New Ways Ministry が作成した LGBT friendly な小教区のリストを調べてみるとよいでしょう.

しかし,探してみても,歓迎してくれる小教区を地元では見つけることができない LGBT カトリック信者も少なくありません.そのような場合,自身が所属する小教区では歓迎されていない,と感じたままであらざるを得ません.LGBT の人々に対して無神経な言葉,攻撃的な言葉,さらには罵りの言葉をさえ発する司祭や教会役員がいる,という話を,わたしはたくさん聞いてきました.人間が作る組織においてはどこでもそうであるように,冷淡なこと,卑劣なことを言ったりしたりする人がいます.どの職種においても,同じことです.しかし,だからと言って,カトリック教会から立ち去らねばならない,というわけではありません.わたしは,よくこう言います:「ヤブ医者に出くわしたことが一度あるからといって,二度と医者に診てもらわないでいられますか?」.それでも,それはとても辛いことです.よくわかります.

では,歓迎してくれる小教区が見つからないときは,どうすればよいか?その場合は,あなたを歓迎してくれ,「神はあなたを愛している」と断言してくれるスピリチュアルな家庭を探しましょう.しかし,歓迎してくれるカトリック小教区を探すことを,決してあきらめないでください.教会のなかにあなたの居場所があるということを,決して疑わないでください たとえほかの人々にはそのことがわからなくても.わすれないでください,あなたは洗礼を授けられたのだ,ということを.

そして,覚えていてください,あなたは教会にとって重要なのだ,ということを.特に,教会は,LGBT の人々のことをますます知るようになり,あなたたちの経験について反省するよう促されているのですから.神は,あなたを創造し,特別な賜をあなたに与えました.そして,理由あって,神はあなたを教会へ呼び寄せました.言い換えると,教会はあなたを必要としています.

さて,質問全部にお答えすることができなくて,すいません.信仰や教会との葛藤に悩んでいる LGBT カトリック信者からの質問も,LGBT に関することがらについての質問も,とてもたくさんいただいたので.ともあれ,ここで述べた幾つかの省察が何かお役にたてばよい,と望んでいます.そして,なかんずく,忘れないでください,あなたに対する神の愛を.なぜか? 答えを当ててみてください なぜなら,神はあなたを愛しているからです.

(翻訳:ルカ小笠原晋也)