2019年4月23日火曜日

Tokyo Rainbow Pride 2019 に参加しましょう


わたしたち LGBTQ+ カトリック信者の信仰共同体 LGBTCJ は,今年も Tokyo Rainbow Pride に参加します.

4月28日,29日の両日,出展します.ブース番号は 186 です(けやき並木道の NHK ホール入口に近いところです).ブースでは,虹色十字架,虹色ロザリオ,パンフレット『LGBTQ とカトリック教義』などの販売,配布をおこないます.



28日は,パレードにも参加します.事前登録の必要ない I Have Pride のフロートに参加する予定です.

わたしたちといっしょに TRP に参加しましょう!

LGBTCJ のブース (186) に是非,お立ち寄りください.

ブースを手伝ってくださる方も,歓迎です.部分的でかまいません.御協力くださる方は,lgbtcj@gmail.com へ御連絡くださるか,または,当日,直接わたしたちのブースへおいでください.

なお,全面的に come out しているわけではない方は,当日,大きめのサングラスや帽子などを着用し,服装も普段とは異なるものになさるよう,お勧めします.

2019年4月21日日曜日

主の御復活おめでとうございます

Caravaggio (1571-1610), Maria Maddalena in estasi (1606), collezione privata

なぜ主の復活のお祝いのメッセージに Maria Magdalena の肖像を添えるのか — しかも,復活した Jesus に近寄ろうとする彼女に対して発せられた彼の言葉 "Noli me tangere"(わたしに触れるな)の主題のもとに描かれた数々の名作のひとつではなく,神秘的な恍惚の状態にある彼女を描いた Caravaggio の作品を?

その理由は,Jesus は決して Maria Magdalena に「わたしに触れるな」と禁止したりはしなかった,ということだけではありません.

話はちょっと横道にそれますが,説明しておきましょう.そうです,復活した Jesus は Maria Magdalena に「わたしに触れるな」と冷たく禁止したりはしませんでした.

ヨハネ福音書 20 章 17 節で,何と言われているか?ギリシャ語の原文では,彼は彼女にこう言っています : μή μου ἅπτου.

文法的に説明すると,ἅπτου は動詞 ἅπτεσθαι[自身を ...へ固定する,つかむ,とらえる,しがみつく,触れる]の二人称単数の命令形です.μή は否定辞です.ですから,その文は確かに一種の否定命令 — つまり,禁止 — を表してはいます.しかし,それは単なる「触れるな」ではありません.

もし単純に「わたしに触れるな」という禁止を言うのであれば,古代ギリシャ語では,動詞を接続法アオリストに活用して,μή μου ἅψῃ と言うはずです.それに対して,Jesus が Maria Magdalena に発した言葉 — 直説法現在の否定命令 μή μου ἅπτου — が示唆しているのは,こんな光景です:復活した主を見て,彼女は,喜びのあまり,彼に抱きついた(あるいは,もし 彼女は 地面に ひざまづくか ひれ伏している と 想像するなら,彼女は 彼の下半身に 抱きついたか,彼の足を 手で握りしめた — 実際,マタイ福音書 28,09 では,Maria Magdalena と もうひとりの Maria は,復活した Jesus のまえに ひれ伏して,彼の足を つかんで [ κρατέω ] います); そして,彼女がいつまでもそうしているので,Jesus は彼女に優しく言った :「わたしにしがみつき続けるな — いつまでもそうしていないで,いいかげんに放してくれよ」.

Vatican の web site に提示されている ラテン語聖書 では,当該箇所は,"noli me tangere" ではなく,"noli me tenere" と訳されています.つまり,「わたしをいつまでも[地上に]とどめておかないでくれ」.その方が,それに続く言葉 :「なぜなら,わたしはまだ御父のところへ昇っていないのだから」ともよりよくつながります.

最新の聖書協会共同訳では,いまだに「わたしに触れてはいけない」と訳されています.もはや,それは誤訳であると言わざるを得ません.

話をもとに戻すと,この記事の挿絵として "Noli me tangere" ではなく,恍惚の Maria Magdalena の肖像を選んだのは,単に Jesus は彼女に「わたしに触れるな」とは言わなかったからだけでなく,しかして,そもそも,死者たちのうちから復活した主は,40日間,幽霊のような地上的な「存在事象」として,彼女や弟子たちとともに「存在」したはずはないからです.

わたしは,むしろ,こう思います:福音書に物語られていること — 復活した Jesus は最初に女たちに(特に Maria Magdalena に)現れた — が真理を言っているとするなら,それは,このことである:つまり,十字架上で処刑された Jesus は,今,我々が Maria Magdalena と呼んでいるひとりの女性(または 女性たちの一団)において(「の『こころ』のなかで」とは 言いません),死から永遠の命へ「復活」したのだ.そして,そのことは,同時に,彼女が Jesus によって 永遠の命へ「復活」させられた,ということでもある.

まさに,Maria Magdalena における「復活」の成起を以て,キリスト教と呼ばれる信仰は誕生しました.それがいつのことなのか — Jesus の処刑(推定,紀元30年)から三日めのことなのか,何週間ないし何ヶ月か後のことなのか,あるいは何年も後のことなのか — は,定かではありません.勿論,最初のパウロ書簡(第一テサロニケ書簡)が書かれたと推定される紀元51年より前であることは確かですが.

Caravaggio が描いた恍惚における Maria Magdalena の肖像は,彼女における Jesus の「復活」の瞬間と,それと同時的な彼女自身の「復活」の瞬間 — すなわち,キリスト教の誕生の瞬間 — の図像化である,と言うことができます.

使徒 Paulus は,ユダヤ教聖典の解釈によってキリスト教神学を形成して行く彼の作業のなかで,Jesus の「復活」がひとりの女性において成起したという事実を 無視しました.しかし,口承の伝統においては Maria Magdalena は忘れ去られることはなく,彼女の名は福音書のなかにしっかりと書きとめられました.そして,彼女は,主の復活を使徒たちに告げ知らせた第一証言者として,Apostola Apostolorum[使徒たちの使徒]の称号のもとに崇められています.彼女における「復活」の成起がなければ,キリスト教は誕生し得なかったのです.

もうお気づきのことと思いますが,「復活」は,「よみがえり」でも「死後の世界」のことでもありません.それは,わたしたちに,生物学的な意味における「死」の後に起こる何ごとかではありません.

もし仮にそう考えるなら,それは仏教の浄土信仰と本質的に何ら変わらないことになってしまいます.死後に天国ないし浄土に行くことが,今,生きていることよりもより重要なことになってしまいます.そして,それは,「我々は,今,生きており,今,実存している」ということの「かけがえのなさ」を,相対化し,むしろ,「死後の生」よりもより軽いもの,より非本質的なものと見なすことになってしまいます.そして,そのような思念は,キリスト教をも,仏教と同様に,単なる葬式のための儀式へ変質させてしまうことでしょう.また,さらには,自殺のみならず,「生きて存在していることは四苦八苦にほかならず,諸行無常であるのだから,人間たちをすべて,できるだけ早く涅槃に至らしむることこそが,彼れらを救済することになる」という邪悪な他殺の思想をさえ正当化することになるでしょう.

キリスト教は,そのような仏教と同じではあり得ません.なぜなら,「死から永遠の命への復活」は,死後に起きる何ごとかではなく,しかして,今,生きている我々の実存において成起することであり,かつ,我々が今,生きているからこそ,我々の実存において成起し得ることであるからです.

キリスト教の教義において「死から永遠の命への復活」と呼ばれている事態は,単なる神話ではありません.そうではなく,人間が今,神の命(存在)を生きる,ということです.そして,それが可能なのは,神は,御自身の命(存在)を以て,人間を生かして(存在させて)くださっているからです — 神の息吹 [ πνεῦμα ] によって,神の愛によって

人間の生は,単なる生物学的な生に還元され得るものではありません.人間が生きている生は神御自身の生であり,人間の存在は神御自身の存在です.

先ほど,「主は Maria Magdalena の『こころ』のなかで復活した」と言うのは適当ではない,と言いました.その理由は,こうです:かかわっているのは,「こころ」ではなく,存在である;主は,Maria Magdalena の存在そのものにおいて復活したのであり,彼女のみならず,あらゆる人間の存在において復活する;そして,ひとりの人間の存在において主が復活するということは,同時に,その人間が復活するということである.

愛を以て 無から すべてを 創造する 神は,我々ひとりひとりを 愛を以て 創造するとき,我々ひとりひとりの存在を 神御自身の存在によって 可能にしてくださいました — 神の愛によって

そのことは,創世記 2,07 においては,神話的に こう 物語られています :「神なる主は,土から取った塵を以て 人間を 形づくった.そして,その鼻の孔に 命の息を 吹き込んだ.そして,人間は 命ある存在となった」.

つまり,我々 人間が 今 生きている 命は,神御自身の命 — 永遠の命 — に ほかならないのです.

そのことに気がつき,そのことに感謝しましょう.そのとき,我々は,死から永遠の命への復活を自覚することができ,その喜びを生きることができるからです.

そして,その喜びは,原罪からの解放としての罪の赦しの喜びでもあります.

死から永遠の命への復活と,無からの創造と,罪の赦し — それら三つの教義が如何に密接に関連しあっているかが,示唆されます.

ところで,今年の聖週間は,本当に悲しい週でした — 我々が愛する Notre Dame de Paris の火災のゆえに.それは,まるで乙女マリアの火刑を目の当たりにするような苦痛でした.

今日,復活の主日,ある意味で,我々が感ずる主の復活の喜びは,復活した主と出会った Maria Magdalena が感じたであろう喜びと同じです — かけがえのないものの喪失を経験した後の喜びである限りにおいて.

もうひとつ,重大な喪失を,我々は最近,味わいました.カトリック聖職者による青少年および女性に対する性的虐待の構造的な蔓延による〈カトリック教会そのものへの信頼の〉喪失です.

一方は偶発的な喪失であり,他方は必然的な喪失です.しかし,それらふたつの喪失をほぼ同時に経験した我々は,そこから新たな創造が成起し得ることを予感します — 聖職者中心主義によらないカトリック教会と律法中心主義によらないカトリック信仰の可能性が,改めて我々に与えられたのです.

ある意味で聖職者中心主義を象徴する Notre Dame de Paris の建設は,12世紀に始まりました.今 thomisme と呼ばれている律法中心主義を象徴する聖トマス・アクィナスが生きたのは,13世紀でした.両者は,homosexuality と transgender を断罪し,排除するカトリック教会の象徴でもあります.

Maria Magdalena の経験がキリスト教信仰の出発点であったとすれば,聖職者中心主義も 律法中心主義も,我々の信仰には異質なものであり,不要なものです.

今日,復活の主日,わたしたちは,改めて,キリスト教の原点である Maria Magdalena の経験を経験しなおしましょう.

主の御復活,おめでとうございます!


2019年4月18日木曜日

Notre Dame de Paris が炎に包まれていたとき,神はどこにいたのか?



Notre Dame de Paris が炎に包まれていたとき,神はどこにいたのか?


(USA のイェズス会の週刊誌 America のインターネット版に2019年04月16日付で発表された James Martin 神父 SJ の記事 — 動画つき — を翻訳して紹介します.)

昨日の痛ましい Notre Dame de Paris の火災は,世界を驚きと悲しみのうちにひとつにしたように思える.Jesus Christ の受難と死と復活を世界中のクリスチャンが記念する聖週間の始まりに起きたこの象徴的な出来事は,ほとんど耐え難いものだ.告白すると,わたしは,あのすばらしい古い教会が燃えるのを見ながら,泣いた.


中世の石のカテドラルから煙が吹き出し,木の屋根から炎が跳ね上がり,そして — たぶん,最も悲惨な瞬間 — 屋根を飾る金属製の尖塔が燃えかすのように焼け落ちたとき,わたしたちの多くは,Jesus の受難と死を思わずにはいられなかった.彼が十字架上で公開処刑される間,ちょうど昨日のように,群衆は,恐れおののきながら見つめていた — 自身を無力なものと感じ,悲しみに打ちのめされ,「いったいわたしに何ができるというのか」と自問しながら.

群衆のなかには,Jesus の母 — Our Lady, Notre Dame — がいた.聖母マリアは,まさに知っている — 愛する者が苦しみ,死んで行くのを見ながら,何もできずに,そのかたわらにたたずむということが,どういうことであるかを.

しかし,聖母マリアは,また,ある意味で,あの悲しみのときに神は彼女とともにいることも,知っている.

だが,わたしたちは,こう問うこともできるだろう:昨日,パリで,神はどこにいたのか?

その答えは:神は,いたるところにいた.ひざまづき,祈り,Ave Maria や Lourdes の聖歌を歌う群衆のなかに,神はいた.人々は,祈り,歌いながら,聖母マリアの助けを求めていた — 彼女の教会が燃えるのを目の当たりにしながら.そのような人々の姿は,深い信仰の表現だった.そして,神はそこにいた.

神は,消防士たちのなかにいた.フランスの霊気的な心を象徴する建物が燃えるなかへ,彼らは,自身の危険を顧みず,飛び込んで行った.それは,まさに,神の愛の喩えだ.神は,どれほどわたしたちを愛しているか? — 燃え上がる建物のなかに救助のために飛び込んで行く消防士ほどに.

そして,神は,消防隊付の司祭[Jean-Marc Fournier 神父]とともにいた.彼は,カテドラルの最も貴重な聖遺物 — イェスに被せられた「いばらの冠」と信ぜられているもの — を救い出すために,自身の生命を危険にさらした.その聖遺物は,Notre Dame de Paris の建物の物語が主の受難と死とに密接に結びついていることを,生き生きと想い起こさせてくれる.

昨夜遅く,火が消し止められた後,わたしたちは,劇的な光景を目の当たりにした:十字架である.それは,煙が立ちこめるカテドラルのなかで,祭壇の上に高々と輝いていた — クリスチャンの希望の力強い象徴として.


希望こそ,究極のメッセージだ.そして,そのことを最もよく知っているのは,Notre Dame[聖母マリア]にほかならない.彼女は知っている:苦しみが最後の言葉なのではない,と.

聖週間の物語は,単純に死と破壊の物語であるわけではない.それは,より重要なことに,希望と新たな命の物語だ.聖金曜日は,復活の主日なしには意味をなさない.聖母マリアは知っている:希望は絶望よりも強く,愛は憎しみよりも強く,命は死よりも強い,と.そして,彼女は知っている:神がともにいてくだされば,不可能なことは何も無い,と.クリスチャンとは,悲しみを知りつつも,希望のうちに生きる人々である.

この動画に映し出されるイメージを見つめながら,そして,来る年月のうちに再建されて行くだろう Notre Dame de Paris とともに,Notre Dame[聖母マリア]の祈りを請い願おう — 彼女は,苦しむ者とともにいるということが何を意味するかを知っており,かつ,新たな命の約束に希望を持つということが何を意味するかをも知っている人である.

(翻訳:ルカ小笠原晋也

2019年4月8日月曜日

カトリック聖職者による性的虐待の児童被害者として名のり出た人に高見三明大司教様が直接謝罪

竹中勝美さんと高見三明長崎大司教様
  
高見三明大司教様と竹中勝美さんとが握手している写真を,毎日新聞で御覧ください.

カトリック聖職者による性的虐待の児童被害者として日本で唯一みづから名のり出た 竹中勝美 さんが実質的に主催した 会合 が,2019年04月07日,都内で行われました.竹中さん御自身に加えて,文藝春秋に記事を書いたジャーナリスト 広野真嗣 さんと,性的虐待の被害者の診療を多数行っている精神科医 白川美也子 さんが,発表を行いました.百人弱の参加者を集めました.カトリック信者も,たくさん来ていました.

驚くべきことに,そのなかには,高見三明長崎大司教様(日本カトリック司教協議会長)の姿がありました.彼は,竹中さんの招きに応えて,この会合に出席しました.

大司教様は,プログラムに予定されていた三人の発表の後に,即席で短いスピーチを行いました.彼は,御自身も参加した 2 月の Vatican sexual abuse summit での見聞について語り,社会中に蔓延する性的虐待の問題にカトリック教会が積極的に取り組んで行く決意を改めて述べるとともに,竹中勝美さんに対して直接,謝罪しました.

竹中勝美さんは,感きわまって,大司教のところに駆け寄り,ふたりは握手しました.

竹中勝美さんの肉声は,改めて,いかに性的虐待が被害者の生に深刻な傷を与えるかを,なまなましく証言してくれました.

日本のサレジオ会の誠意ある対応が待たれます.

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以下,この件に関してわたしが以前にカトリック教会関係者に宛てたメールの文面を再録しておきます:

1) 2019年02月17日付メール:

文藝春秋2019年03月号の記事で,故 Thomas Manhard 神父 SDB (1914-1986) による性的虐待について,被害者,竹中勝美さん(当時9-10歳)による証言が取り上げられています.日本で被害者が名のりでた初のケースだと思います.是非,御一読ください.その記事と,関連記事は,以下のとおりです:

i) 文藝春秋2019年03月号の記事

ii) 2018年04月26日付の朝日新聞「ひと」欄における竹中勝美さんの紹介記事

iii) 竹中勝美さんが「エドワード」名義で公表している2001年06月19日付のサレジオ学園宛の書簡

iv) 同じく「エドワード」名義で公表している竹中勝美さんの「想い出日記」.

彼の証言の真実性については疑う余地はないと思います.

文藝春秋の記事のなかでもうひとつびっくりさせられたのは「A 司教」のことです.カトリック信者なら誰でも,これが谷大二司教様のことであるとすぐにわかります.この疑惑に関しても,日本カトリック司教協議会の迅速な対応が待たれます.

もうひとつ初めて知ったのは,1959年に起きたある殺人事件について,故 Louis-Charles Vermeersch 神父 SDB (1920-2017) がその容疑者とされていたことです.彼は,1959年に離日した後,殺人事件の容疑に関してはまったく取り調べを受けることはなかったようです.

Vermeersch 神父のことはさておき,竹中勝美さんに関しては,加害者は既に死去しているとはいえ,今は,事件が起きた教区の司教または大司教が被害者の声を直接聴く,というのが,世界的には当然の対応になっています.例えば :

Catholic Primate meeting abuse survivors prior to Rome gathering

Only a listening church can address the sex abuse crisis

USA では,十分な根拠を以て加害者と疑われる司祭の名前が,故人も含めて,次々に公表されています.

今週,21日から Vatican sex abuse summit が始まるのに合わせて,聖職者の homosexuality に関する社会学者の調査が出版されます.それに関しては,わたしのブログ記事をお読みください.

2) 2019年02月20日付メール

文藝春秋は,サレジオ学園における児童に対する性的虐待に関して,2019年02月19日付で続報を web に発表しました.そこには,記事を書いたジャーナリスト広野真嗣氏が東京サレジオ学園に2019年01月に送った質問状に対する東京サレジオ学園からの回答書(広野氏は02月15日にそれを受け取った)の内容が紹介されています.それによると,東京サレジオ学園は「事実を確認することはできなかった」と述べるにとどまっています.そして,最後に「司教協議会の指示に従います」と述べて,責任を司教協議会に丸投げするかのような態度を取っています.この件は,日本社会のなかでカトリックに対する印象をとても悪くする危険性をはらんでいます.

Thomas Manhard 神父 SDB は,わたしが Internet で確認することができた 資料 によると,1986年04月15日に享年71歳で死去しています.なお,彼はドイツ人ですので,彼の氏名のカタカナ表記は「トーマス・マンハルト」の方が適当です.記事中の写真(サレジオ学園の書簡)からは,生年は1914年であることが読み取れます.1955年から 6 年間,東京サレジオ学園の校長を務めていました.

被害者,竹中勝美さんが「エドワード」名義で公開している彼の 書簡 や 回想 にもとづいて精神医学的に判断するなら,彼が性的虐待を受けたことが真実であることには疑う余地はありません.サレジオ学園の「事実を確認することはできない」という釈明は,あまりにおそまつです.東京大司教区として,また,司教協議会として,この件に対して対応することが要請されていると思います.

谷大二司教様に関しても,彼の突然の埼玉教区司教辞任の理由について疑問をいまだに抱き続けているカトリック信者は少なくありません.疑問が疑惑としてわだかまることのないよう,この件に関する説明責任と透明性が日本カトリック司教協議会に求められていると思います.

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ルカ小笠原晋也