2020年10月24日土曜日

教皇 Francesco は 同性カップルの civil union の法制化を 支持する... が 同性カップルに結婚の秘跡を授けることはしない


教皇 Francesco は 同性カップルの civil union の法制化を 支持する... が 同性カップルに結婚の秘跡を授けることはしない


 
Evgeny Afineevsky 監督の新しいドキュメンタリー映画 Francesco(予告編関連記事)が,2020年 10月 21日,Rome Film Festival で 世界初上映されました.そのなかで パパさまが 同性カップルの civil union の法制化を支持する と発言していることが,世界中で 大きく 報道 されました.

この場合,civil union とは,民法によって結婚とほぼ同等の権利と義務を与えられたカップルの法的形態のことです.世界では 既に多くの国で同性婚が法制化されていますが,それらの国々でも,あるいは,特に 同性婚が法制化されていない国(たとえば イタリア)においては,civil union を規定する法律は,同性カップルの関係に法的な保証を与える機能を果たしています.

実は,パパさまは,Buenos Aires 大司教であったときから,既に,civil union の法制化に賛成していました — ただし,それは,同性婚の法制化に反対するためでした(しかし,結局,アルゼンチンにおいては,2010年07月22日に 同性婚は 法制化されました).

パパさまは,かねてから,教会において結婚の秘跡を授かることができるのは異性カップルのみであり,そのかわりに,同性カップルには民法上の保証を与えることを許す,という考え方をしています.

それについて,わたしは,3 年前に書いた『教皇 Francesco の 生と性の神学』のなかで論じています.彼は,性別に関しては,基本的に言って,生物学的に規定された男女二元論のなかにとどまっており,また,同性カップルにおいては,異性カップルにおけるような「他なるもの」との関係を経験することはできない,と考えています.そこにおいては,彼の思考は 残念ながら 保守的なままです — 彼は 目的論的な lex naturalis[自然法]の形而上学からは自由であるとはいえ.

しかし,それでも,今回の「教皇は 同性カップルのために civil union が法制化されることを 支持する」というニュースは,LGBTQ カトリック信者たちには おおむね 好意的に受けとめられています.

gay であることを公にしている神学者 Bryan Massingale 神父が,アメリカの公共ラジオ NPR のインタヴューに答えている記事を 邦訳して 紹介しましょう.

Bryan Massingale 神父は,STD (Sacrae Theologiae Doctor) の学位(教皇庁立大学の神学博士の学位)を有する道徳神学の専門家であり,現在,NYC にあるイェズス会系の大学 Fordham University の神学教授です(つまり,神学者として高名であり,かつ,高く評価されている人物です).彼は,自身が gay であることを公にしており,lex naturalis[自然法]にもとづいて homosexuality を断罪するカトリック教義を「偶像崇拝」と批判しています(わたしのブログ記事 Father Bryan Massingale : 偶像崇拝に立ち向かうこと を参照してください).


— 今週[10月21日]Rome Film Festival において 世界で初めて上映されたドキュメンタリー映画 Francesco において,教皇 Francesco は同性カップルのために civil union を是認していることが,わかりました.さて,その映画における彼の発言は,カトリック教義の変更を意義しませんが,その問題に関して教皇が如何に語るかにおける大きな変化を意義します.そこで,それは,カトリック LGBTQ community にとって,何を意義することになるでしょうか ? Bryan Massingale 神父さまに質問したいと思います.gay であることを公にしているカトリック司祭として,教皇の発言を初めて聞いたとき,どう思いましたか? 

Bryan Massingale (BM) : とても感激しました.歓喜をおぼえた,と言ってもよいでしょう.教皇が そのようなしかたで gay や lesbian である人々のために civil union を是認した と聞いて,とてもうれしく思いました.教皇は,gay や lesbian である人々が家族を持つ権利を有していることを,法的に認め,保護するよう,明確に要請したのです.彼は,gay や lesbian である人々は 家族を持つ権利,家族生活をおくる権利を 有している,と言ったのです.そして,それは,カトリックの世界では重要なことです.なぜなら,家族を持つ権利は〈人々が《人間であるがゆえに》有する〉基本的な人権のひとつであるからです.ですから,[このたび教皇がしたように]同性カップルの civil union の法的な是認と保護を要請することは,実に,gay や lesbian である人々の人間性の肯定なのです.彼は こう言ったのです : gay や lesbian である人々は人間であるのだから,社会や国家や政府は彼れらの基本的人権を守るよう義務づけられている. 

— LGBTQ である人々に civil union の権利を認めること,そして,彼れらは civil union によって 彼れらの人生において パートナーと家族を有してもよいと認めること — それは,彼れらは子どもを持ってもよい と認めることですか? 

BM : 勿論です.教皇 Francesco が最初にこの種の肯定を為したのは,彼が教皇になる前,Buenos Aires 大司教であったときでした.今,意味論上の相違があるように見えるかもしれませんが,しかし,わたしはこう思います:教皇は,gay や lesbian である人々が家族生活をおくることを法的に是認することに反対しないし,彼れらの〈家族を持ち,子どもを育てる〉権利に反対しない,と言ったのです. 

— あなた自身は gay カトリック信者であり,聖職者です.あなたからすると,civil union は,教会で結婚することができるという事態に比べると,若干 意義が劣る,ということになりますか? 

BM : そのとおりです.わたしは 個人的には — そして,ほかの多くの人々も,gay や lesbian である人々や わたしたちを愛してくれている ally の人々も — 教会が いつの日か LGBTQ である人々の愛し合うカップルの関係を 結婚の秘跡において 承認するようになることを 欲しています.そして,実際,そのような対話が,ちょうど今,教会のなかで進められています.実際,ドイツ語圏の司教たち — ドイツとオーストリアの司教たち — は,この種の議論 — いかにして 教会は 愛し合う同性カップルに 祝福や承認を広げることができるだろうか?に関する議論 — の最前線にいます.それは 同性カップルの問題に関する教会の思考の進歩において 必要な一歩である,と わたしは見ています.その一歩は あまりに小さいし あまりに遅い と言う人々も いるでしょう.しかし,わたしは こう思います:我々は,カトリック信者として,若干 距離を取る必要がある;そして,カトリック教会は 全世界に手を差しのべる全世界的な教会である と言う必要がある.世界中の多くの場所において,LGBTQ の人々は,合衆国におけるより,ずっと少なくしか 人権を 法的に是認され 保護されて いません.なおも 70 以上の国々において homosexuality は犯罪と見なされている,ということを思い出さねばなりません.5, 6 ヶ国においては,homosexuality は死刑に処され得る行為とされているのです.ですから,同性カップルの civil union の法制化を認めるという今回の宣言によって教皇が為したのは,このことです:すなわち,彼は 明確に カトリック教会を homosexuality の犯罪化に反対し,gay や lesbian である人々の人間的尊厳を保護することをよしとする側に 置いたのだ. 

— しかし,わたしが事態を理解できるよう 助けてください.なぜなら,わたしの理解では,カトリック教会は なおも homosexuality を罪と見なしており,生活様式のなかで促されるべき何ごとかとは見なしていないからです.周知のように,赦しという観念があります.もし あなたが あなたの性的指向を それに関して赦しを求めるべきところの何ごとかと考えているなら,それでもよいでしょう.しかし,「罪」のなかに生きることは,教会の目から見れば,受け容れられることではありません. 

BM : 教皇 Francesco は,homosexual な行動ないし行為に関する教会の教えを 変えてはいません.彼は なおも それを 道徳的に問題のあることと 見なしているかもしれません.しかし,彼は この問いに立ち戻ります:我々は,おこないに焦点を当てるべきか あるいは 人に焦点を当てるべきか ? 罪人[つみびと]でさえ,人権を有しています.わたしたちは,罪人の人権を尊重し,保護するよう,要請されています. 

— LGBTQ カトリック信者にとっては,まさに今,何が変わったのでしょうか — もし変わったことがあるとすれば? 

BM : わたしは こう思います : LGBTQ カトリック信者にとっては,それは,教会は変わり得るという希望の徴です.教会は 成長し得,進化し得る.特に,LGBTQ の人々が より積極的に迫害されている場所においては,それは希望の徴です.そのような迫害はカトリックの信仰とは相容れないということを示す希望の徴です.合衆国においては,カトリック信者やカトリック施設は 同性カップルが養子を取ることにかかわることも それを許すこともできない,と言おうとしている人々がいます.カトリック教会のなかで行われているその種の議論にとって,今回の教皇の言葉は,実に,異なるレンズを与えることになる,と わたしは思います.なぜなら,gay や lesbian である人々は家族を持つ権利を有している,と わたしたちは 基本的に言っているからです.彼れらは親となり得る.そのことは,合衆国において,カトリック信者たちに,異なるアプローチを取るよう 要請します — 宗教の自由について論ずるときに,カトリック組織の権利について論ずるときに,また,カトリック団体は「同性カップルは養子を取ることはできない」と主張し続けることができるか否か を論ずるときに.ですから,今回の教皇の言葉は 合衆国において 非常に具体的な効果を持つことになるだろう,と わたしは思います.

******
2020年10月25日 付記:

その後,どこから Evgeny Afineevsky 監督は Papa Francesco の言葉を引用してきたのか,が問題になっています(この記事を参照).というのも,彼は Papa Francesco に幾度かインタヴューをしたものの,その際の対話を撮影することは彼に許可されなかった,ということが 判明したからです.代わりに,彼には, Vatican が所蔵する映像資料庫への入室が許可されました.そのなかから,彼は,2019年05月にメキシコのテレビ局 Televisa が撮影した Papa Francesco のインタヴューの長い未編集フィルム(編集後のフィルムは Televisa で放送された)を見つけ出しました.そして,そこから 彼は ふたつの箇所を切り出してきて,つなげて,次の文(英訳)を合成しました

Homosexual people have the right to be in a family. They are children of God and have a right to a family. Nobody should be thrown out or be made miserable over it. What we have to have is a civil union law — that way they are legally covered. I supported that.

homosexual である人々は,家族で暮らす権利を有している.彼れらは,神の子であり,家族生活の権利を有している.homosexual であるという理由で 家族から放り出されたり,惨めな思いをする者がいてはならない.我々が持つべきものは,civil union の法律である.彼れらが法律で庇護される方法である.わたしは,それを支持してきた.

America Magazine の Gerard O'Connell 記者は,こう解説しています:

未編集の原テクストによると,Afineevsky 監督のドキュメンタリーにおける教皇の発言の最初の三つの短い文は,「教会法に適っていない状況」において暮らしている人々を教会に統合する問題に関する問いに対する教皇の答えのうちのほんの小さな部分(それは,Televisa のインタヴューの放送された版にも見出される)である.教皇は,homosexual な性的指向を有する人々を家族へ統合する問題に関して ある機上記者会見で質問されたことのあることを思い返し,そして,「わたし [ Papa Francesco ] はこう言った:homosexual である人々は,家族のなかにとどまる権利を有している.homosexual な性的指向を有している人々は,家族のなかにとどまる権利を有しており,親は 息子や娘を homosexual と認める権利を 有している.homosexual であるがゆえに 家族から放り出される者があってはならないし,homosexual であるがゆえに生きることが不可能になることがあってはならない」.

Afineevsky 監督のドキュメンタリーにおける教皇の発言の最後の文は,Televisa インタヴューの未編集版のなかにしか見出され得ない まったく別の問いに対する教皇の答えの最後の部分である.Televisa の Ms Alazraki は,教皇が Buenos Aires 大司教であったときの 同性婚法制化に反対する彼の戦いのことを思い返し,そして,教皇になった彼の よりリベラルと見える立場は 聖霊によるものか,と教皇に問うた.

彼の完全な答えは,英訳では 次のとおり

The grace of the Holy Spirit certainly exists. I have always defended the doctrine. And it is curious that in the law on homosexual marriage…. It is an incongruity to speak of homosexual marriage. But what we have to have is a law of civil union (ley de convivencia civil), so they have the right to be legally covered.

確かに,聖霊の恵みは ある.わたしは 常に カトリック教義を防衛してきた.そして,奇妙なことに,同性婚に関する法律のなかには... 同性婚[同性カップルの結婚]という表現には,齟齬がある.我々が持つべきは,civil union[教皇のスペイン語の表現では convivencia civil : 民法により規定された同棲]の法律である.彼れら[同性カップル]は,法的に庇護される権利を有している.

Gerard O'Connell 記者は,以上のことを 我々に 明かしてくれています.

ともあれ,homosexuality と同性婚に関する Papa Francesco の詳しい考えを知りたい方は,よろしければ,わたしが 3 年前に書いた『教皇 Francesco の 生と性の神学』を参照してください.

******
2020年11月04日 追記:

Papa Francesco の伝記 Wounded Shepherd : Pope Francis and His Struggle to Convert the Catholic Church の著者であるジャーナリスト Austen Ivereigh によると,教皇庁 国務省は,世界各国に駐在する教皇大使に対して,以下の文書(Austen Ivereigh が提示しているのは スペイン語版)を 10月30日に送付しました.その内容は,上に紹介した Gerard O'Connell の記事 の内容と一致しています.この件に関しては,America 誌 や National Catholic Reporter 誌も 報じています.

PARA ENTENDER ALGUNAS EXPRESIONES DEL PAPA EN EL DOCUMENTAL “FRANCISCO”

Algunas afirmaciones, contenidas en el documental “Francisco” del guionista Evgeny Afineevsky, han suscitado, en días pasados, diversas reacciones e interpretaciones. Se ofrecen por lo tanto algunos elementos útiles, con el deseo de favorecer una adecuada comprensión de las palabras del Santo Padre. 

Hace más de un año, durante una entrevista, el Papa Francisco respondió a dos preguntas distintas en dos momentos diferentes que, en el mencionado documental, fueron editadas y publicadas como una sola respuesta sin la debida contextualización, lo cual ha generado confusión. El Santo Padre había hecho en primer lugar una referencia pastoral acerca de la necesidad que, en el seno de la familia, el hijo o la hija con orientación homosexual nunca sean discriminados. A ellos se refieren la palabras: “las personas homosexuales tienen derecho a estar en familia; son hijos de Dios, tienen derecho a una familia. No se puede echar de la familia a nadie ni hacerle la vida imposible por eso”. 

El siguiente párrafo de la Exhortación apostólica post-sinodal sobre el amor en la familia Amoris Laetitia (2016) puede iluminar tales expresiones: «Con los Padres sinodales, he tomado en consideración la situación de las familias que viven la experiencia de tener en su seno a personas con tendencias homosexuales, una experiencia nada fácil ni para los padres ni para sus hijos. Por eso, deseamos ante todo reiterar que toda persona, independientemente de su tendencia sexual, ha de ser respetada en su dignidad y acogida con respeto, procurando evitar “todo signo de discriminación injusta”, y particularmente cualquier forma de agresión y violencia. Por lo que se refiere a las familias, se trata por su parte de asegurar un respetuoso acompañamiento, con el fin de que aquellos que manifiestan una tendencia homosexual puedan contar con la ayuda necesaria para comprender y realizar plenamente la voluntad de Dios en su vida» (n. 250).

Una pregunta sucesiva de la entrevista era en cambio inherente a una ley local de hace diez años en Argentina sobre los “matrimonios igualitarios de parejas del mismo sexo” y a la oposición del entonces Arzobispo de Buenos Aires al respecto. A este propósito el Papa Francisco ha afirmado que “es una incongruencia hablar de matrimonio homosexual”, agregando que, en ese mismo contexto, había hablado del derecho de estas personas a tener cierta cobertura legal: “lo que tenemos que hacer es una ley de convivencia civil; tienen derecho a estar cubiertos legalmente. Yo defendí eso”.

El Santo Padre se había expresado así durante una entrevista del 2014: “El matrimonio es entre un hombre y una mujer. Los Estados laicos quieren justificar las uniones civiles para regular diversas situaciones de convivencia, movidos por la exigencia de regular aspectos económicos entre las personas, como por ejemplo asegurar la asistencia sanitaria. Se trata de pactos de convivencia de diferente naturaleza, de los cuales no sabría dar un elenco de las distintas formas. Es necesario ver los diversos casos y evaluarlos en su variedad”. 

Por lo tanto es evidente que el Papa Francisco se ha referido a determinadas disposiciones estatales, no ciertamente a la doctrina de la Iglesia, numerosas veces reafirmada en el curso de los años.