2022-04-18

主の復活 おめでとうございます!

Caravaggio (1571-1610), Maria Maddalena in estasi (1606), collezione privata(なぜ この絵を 復活祭のメッセージのために使うのか については 以前の記事を 参照してください)

主の復活 おめでとうございます!

と言っても,Vladimir Putin による 侵略戦争のせいで ウクライナの人々が 悲惨な状況に 置かれている さなか,Papa Francesco の Urbi et Orbi の メッセージ も,戦争や紛争が続いている地域に生きる人々を 思いやるものに なりました.

一日も早く 殺戮と破壊が やみ,主の平和が もたらされますように!

さて,朗報も あります.Covid-19 の 全世界的流行のせいで 2020年03月以来 26ヶ月間 中断されていた わたしたちの LGBTQ みんなの ミサを,来月から 再開します.従来どおり,毎月 第 3 日曜日の 午後,都内の 某カトリック施設の 聖堂で 行います.司式してくださるのは,鈴木 伸国 神父さま SJ を はじめ,LGBTQ カトリック信者たちの司牧を 喜んで引き受けてくださる 神父さまたちです.問合せ と 申し込み は lgbtcj@gmail.com へ.

カトリック教会 全体としては,今年01月に紹介した記事「カトリック教会は LGBTQ 信者へのアプローチを 変えつつある」で 述べられているように,Papa Francesco の 包容的な司牧的配慮の効果が 一部の超保守的な司教や大司教たちを除く カトリック教会 全体に 行き渡りつつあるように 思われます.神に感謝!

特に,リュクサンブール大司教 Jean-Claude Holleriche 枢機卿 は,今年の 2月02日付で発表された インタヴュー記事のなかで,「homosexuality は 罪である という 教会の教えは まちがっている」と 断言しました.また,ミュンヘン大司教 Reinhard Marx 枢機卿 は,今年の 3月13日,ミュンヘンの 聖パウロ教会で,その地の LGBTQ カトリック共同体の ミサの 開始 20周年を 記念する ミサを みづから 司式し,そして,そのミサのなかで,カトリック教会が LGBTQ の 人々を 差別し 傷つけてきたこと について,謝罪しました.

カトリック教会が,神の 全-包容的 (all-inclusive) な 愛に 忠実に,LGBTQ 信者たちに対して ますます包容的となってゆきますように!

最後に,ちょっと 思い出したこと,そして,そこから 思いついたことを 付け足します.

Papa Francesco は,教皇として 初めて おこなった 主日の正午の Angelus の際(2013年03月17日)に,神の慈しみ と 罪の赦し について 語りつつ,1992年05月に ブエノスアイレス大司教区の補佐司教に叙階された直後に 経験した あることを,回想しています.彼が 告解のための待機を終えようとしていたとき,ひとりの みすぼらしい外見の 老女 — 年齢は 多分 80歳 以上 — が 彼のところに やってきました.彼が「nonna[スペイン語では abuela : 老女に対する 親しみをこめた 呼びかけ;日本語では「おばあさん」に相当するだろうが,今 日本では 自分の祖母ではない老婦人に 親しみをこめて「おばあさん」と呼びかけることは もはや しないだろう],告解をしますか?」と 訊くと,彼女は「はい」と 答えます.「でも,もし あなたが 罪を犯していないなら...」と 彼が言いかけると,彼女は「わたしたちは 皆 罪を犯しています!」と 答えます.「しかし,多分,主は 皆を 赦してくださるわけではないでしょう...」と 彼が言うと,彼女は「主は すべてを 赦してくださいます!」と 自信を以て 断言します.彼が 驚いて「signora, あなたは どうして そう言えるのですか?」と 尋ねると,彼女は こう答えます :「もし 主が すべてを赦してくださらないのなら,世界は存在しないでしょう」.彼女の答えを聞いて,彼は 彼女に こう問いたくなります :「signora, あなたは Università Gregoriana で 勉強したのですか?」 以上の対話の回想に続けて,Papa Francesco は こう言います :「なぜなら,彼女の答えは,聖なる息吹 [ lo Spirito Santo ] が 与えてくれた 知恵 — 神の慈しみ関する 内的な知恵 — であるからです」.

もし 主が すべてを赦してくださらないのなら,世界は存在しないだろう (Se il Signore non perdonasse tutto, il mondo non esisterebbe) — 罪の赦し と 神の慈しみ に関する Papa Francesco の 説教において 述べられた この命題を,わたしたちは こう言い換えることができます:もし 主が すべてを愛してくださらないのなら,世界は存在しないだろう — なぜなら,Papa Francesco は こう結論しているからです :「神は,愛に満ちた 父 — 常に 赦してくださる 父 — 我々 皆 に対する 慈しみの 心を 有する 父 — である」.

ということは:あるものが存在している ということの 可能性の 条件は,神が それを 愛してくださっている ということである.要するに:存在とは 神の愛である.

存在とは 神の愛である (das Sein ist die Liebe Gottes) — この命題は,Heidegger の テクストのなかには 見出されません.誰か 神学者が そう言っているでしょうか? 御存じの方は お教えください.

主が 愛をこめて わたしたちに 吹き込んでくださった 聖なる息吹が わたしたちを生き続けさせてくださいますように.

2022-04-12

LGBTQ みんなの ミサを 5月から 再開します!

2022年03月13日,München の 聖パウロ教会で,その地の LGBTQ カトリック共同体の ミサの 開始 20周年を 記念する ミサを 司式する München und Freising 大司教 Reinhard Marx 枢機卿.彼は,このミサのなかで,カトリック教会による LGBTQ に対する 差別について 謝罪しました.

LGBTQ みんなの ミサを 5月から 再開します!


Covid-19 の 全世界的流行のゆえに,わたしたちの LGBTQ みんなの ミサも,2020年03月以来,中断を余儀なくされてきました.

ですが,SARS-CoV-2 ウィルスの 弱毒化 と ワクチン接種の普及に 鑑みて,わたしたちのミサを 26ヶ月ぶりに 2022年05月から 再開したいと思います(公衆衛生的な諸条件に重大な変化の無い限りで).

原則的に 毎月 第 3 日曜日(5月は 15日)の 午後,都内で 行います.

司式してくださるのは, 上智大学準教授 鈴木伸国神父さま SJ を 始め,LGBTQ カトリック信仰共同体の活動に御理解のある 神父さまがたです.

問い合わせ と 申し込み の 宛先は 以下のとおりです:

LGBTQ みんなの ミサ 世話人 ルカ 小笠原 晋也
tel. 090-1650-2207

Jean-Claude Holleriche 枢機卿さま : homosexuality は 罪である という 教会の教えは まちがっている


Jean-Claude Holleriche 枢機卿さま : homosexuality は 罪である という 教会の教えは まちがっている


Jean-Claude Holleriche 枢機卿さまは,2022年02月02日付で Domradio のページに発表された インタビュー記事において,インタヴュアーの問い "Und wie gehen Sie dann mit der kirchlichen Lehre um, dass Homosexualität Sünde sei?"[では,homosexuality は 罪である という 教会の教えを あなたは どう扱いますか?]に対して,こう答えています:

Ich glaube, dass das falsch ist. Ich glaube aber auch, dass wir hier in der Lehre weiterdenken. So, wie sich der Papst in der Vergangenheit geäußert hat, kann das zu einer Veränderung in der Lehre führen. Denn ich glaube, dass das soziologisch-wissenschaftliche Fundament dieser Lehre nicht mehr stimmt. Was man früher verurteilte, war Sodomie. Man dachte damals, in den Spermien des Mannes ist das ganze Kind erhalten. Und das hat man einfach auf homosexuelle Männer übertragen. Es gibt aber gar keine Homosexualität im Neuen Testament. Da ist nur von homosexuellen Handlungen die Rede, was teilweise heidnische Kulthandlungen waren. Das war natürlich verboten. Ich glaube, hier wird es Zeit, dass wir eine Grundrevision der Lehre machen.

わたしは,それは まちがっている と 思う.だが,わたしは こうも 思う:我々は 今や 教義において さらに考えを進めて行こう.つまり,教皇 [ Papa Francesco ] が かつて 表明したように,さらに考えを進めて行くことは 教義の変更へ 至り得る.というのも,わたしは こう思うからだ :[homosexuality に関する 現在の]教義の 社会学的-科学的な 基礎は,もはや妥当していない.人々が 以前 断罪していたのは,Sodomie である.当時,人々は こう考えていた:男の精子のなかに 子ども全体が 含まれている[であるから,膣 以外への 射精は,殺人に等しい].そして,人々は 単純に[Sodomie の問題を]homosexual の 男性たちへ 転移した.だが,そもそも,新約聖書のなかには homosexuality は 存在しない.そこでは,同性どうしの性的行為が 話題になっているだけであり,しかも それは 部分的には 異教徒の礼拝行為[神殿売買春]のことである.そのような異教徒の風習は[キリスト教徒に対しては]勿論 禁止された.わたしは こう思う:今や,我々は[homosexuality に関する]教義の 根本的な 見直しを 行う 時に 至っている.

このインタヴュー記事の概要は,カトリック新聞 2022年02月22日付に 紹介されています: