Caravaggio (1571-1610), Maria Maddalena in estasi (1606), collezione privata(なぜ この絵を 復活祭のメッセージのために使うのか については 以前の記事を 参照してください)
主の復活 おめでとうございます!
と言っても,Vladimir Putin による 侵略戦争のせいで ウクライナの人々が 悲惨な状況に 置かれている さなか,Papa Francesco の Urbi et Orbi の メッセージ も,戦争や紛争が続いている地域に生きる人々を 思いやるものに なりました.
一日も早く 殺戮と破壊が やみ,主の平和が もたらされますように!
さて,朗報も あります.Covid-19 の 全世界的流行のせいで 2020年03月以来 26ヶ月間 中断されていた わたしたちの LGBTQ みんなの ミサを,来月から 再開します.従来どおり,毎月 第 3 日曜日の 午後,都内の 某カトリック施設の 聖堂で 行います.司式してくださるのは,鈴木 伸国 神父さま SJ を はじめ,LGBTQ カトリック信者たちの司牧を 喜んで引き受けてくださる 神父さまたちです.問合せ と 申し込み は lgbtcj@gmail.com へ.
カトリック教会 全体としては,今年01月に紹介した記事「カトリック教会は LGBTQ 信者へのアプローチを 変えつつある」で 述べられているように,Papa Francesco の 包容的な司牧的配慮の効果が 一部の超保守的な司教や大司教たちを除く カトリック教会 全体に 行き渡りつつあるように 思われます.神に感謝!
特に,リュクサンブール大司教 Jean-Claude Holleriche 枢機卿 は,今年の 2月02日付で発表された インタヴュー記事のなかで,「homosexuality は 罪である という 教会の教えは まちがっている」と 断言しました.また,ミュンヘン大司教 Reinhard Marx 枢機卿 は,今年の 3月13日,ミュンヘンの 聖パウロ教会で,その地の LGBTQ カトリック共同体の ミサの 開始 20周年を 記念する ミサを みづから 司式し,そして,そのミサのなかで,カトリック教会が LGBTQ の 人々を 差別し 傷つけてきたこと について,謝罪しました.
カトリック教会が,神の 全-包容的 (all-inclusive) な 愛に 忠実に,LGBTQ 信者たちに対して ますます包容的となってゆきますように!
最後に,ちょっと 思い出したこと,そして,そこから 思いついたことを 付け足します.
Papa Francesco は,教皇として 初めて おこなった 主日の正午の Angelus の際(2013年03月17日)に,神の慈しみ と 罪の赦し について 語りつつ,1992年05月に ブエノスアイレス大司教区の補佐司教に叙階された直後に 経験した あることを,回想しています.彼が 告解のための待機を終えようとしていたとき,ひとりの みすぼらしい外見の 老女 — 年齢は 多分 80歳 以上 — が 彼のところに やってきました.彼が「nonna[スペイン語では abuela : 老女に対する 親しみをこめた 呼びかけ;日本語では「おばあさん」に相当するだろうが,今 日本では 自分の祖母ではない老婦人に 親しみをこめて「おばあさん」と呼びかけることは もはや しないだろう],告解をしますか?」と 訊くと,彼女は「はい」と 答えます.「でも,もし あなたが 罪を犯していないなら...」と 彼が言いかけると,彼女は「わたしたちは 皆 罪を犯しています!」と 答えます.「しかし,多分,主は 皆を 赦してくださるわけではないでしょう...」と 彼が言うと,彼女は「主は すべてを 赦してくださいます!」と 自信を以て 断言します.彼が 驚いて「signora, あなたは どうして そう言えるのですか?」と 尋ねると,彼女は こう答えます :「もし 主が すべてを赦してくださらないのなら,世界は存在しないでしょう」.彼女の答えを聞いて,彼は 彼女に こう問いたくなります :「signora, あなたは Università Gregoriana で 勉強したのですか?」 以上の対話の回想に続けて,Papa Francesco は こう言います :「なぜなら,彼女の答えは,聖なる息吹 [ lo Spirito Santo ] が 与えてくれた 知恵 — 神の慈しみ関する 内的な知恵 — であるからです」.
もし 主が すべてを赦してくださらないのなら,世界は存在しないだろう (Se il Signore non perdonasse tutto, il mondo non esisterebbe) — 罪の赦し と 神の慈しみ に関する Papa Francesco の 説教において 述べられた この命題を,わたしたちは こう言い換えることができます:もし 主が すべてを愛してくださらないのなら,世界は存在しないだろう — なぜなら,Papa Francesco は こう結論しているからです :「神は,愛に満ちた 父 — 常に 赦してくださる 父 — 我々 皆 に対する 慈しみの 心を 有する 父 — である」.
ということは:あるものが存在している ということの 可能性の 条件は,神が それを 愛してくださっている ということである.要するに:存在とは 神の愛である.
存在とは 神の愛である (das Sein ist die Liebe Gottes) — この命題は,Heidegger の テクストのなかには 見出されません.誰か 神学者が そう言っているでしょうか? 御存じの方は お教えください.
主が 愛をこめて わたしたちに 吹き込んでくださった 聖なる息吹が わたしたちを生き続けさせてくださいますように.