2022年9月28日水曜日

ベルギーのフラマン語圏のカトリック司教団が同性カップルの祝福を公認

Mechelen-Brussel 大司教 Jozef De Kesel 枢機卿

ベルギーのフラマン語圏のカトリック司教団が同性カップルの祝福を公認


ベルギーには 八つの教区(うち ひとつは 大司教区)が あり,うち 北部の 五つは フラマン語(オランダ語)圏,南部の 三つは フランス語圏です(Mechelen-Brussel 大司教区のうち 首都 ブリュッセルの 地域は bilingual です).

2022年09月20日,Mechelen-Brussel 大司教 Jozef De Kesel 枢機卿 および 4 人の フラマン語圏の司教は,同性カップルに対する祝福を公認する フラマン語の文書 Homoseksuele personen pastoraal nabij zijn – Voor een gastvrije Kerk, die niemand uitsluit[Homosexual である人々に 司牧的に近しくあること — 誰をも排除しない〈招き入れる[歓迎する]〉教会のために]を フラマン語圏カトリック教会の official website に 発表しました(このページに その文書へのリンクが貼られてあります).

彼らの この決断は,2021年03月15日に発表された 教皇庁 教理省の「同性カップルに対する祝福に関する疑問への回答」における 同性カップルに対する祝福の禁止の措置に 明白に 逆らうものです.

その教理省の通達は,特に ドイツのカトリック教会内で 強い反発を 引き起し,同年05月10日 月曜日には,ドイツ全国の 100 以上の 小教区において,司祭たちが 多数の同性カップルを祝福しました.また,2022年01月24日には,120人以上の教会関係施設の職員(そのなかには司祭もいる)が,#OutInChurch の名称のもとに立ち上げられた website において,自身が LGBTQ であることを 本名を名のりつつ 公にしました.さらに,3月13日,ミュンヘンの 聖パウロ教会で,その地の LGBTQ カトリック共同体の ミサの 開始 20周年を 記念する ミサを 司式した München und Freising 大司教 Reinhard Marx 枢機卿は,そのミサのなかで,カトリック教会による LGBTQ に対する 差別について 謝罪しました.

しかし,公式文書の形で 断固として 教理省の「同性カップル祝福禁止」に 対抗したのは,フラマン語圏司教団が 世界で初めてです.以下,その全文の邦訳を紹介します.

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誰をも排除しない〈招き入れる[歓迎する]〉教会のために

数年来,我々の地域[フラマン語圏ベルギー]における カトリック信仰共同体は,そのすべての活動領域において,ほかの〈社会において 活動している〉人々と 協働している — 敬意と 是認と integration[統合:ある個々人 または あるグループに属する人々を 差別なく 共同体のメンバーにすること]の 雰囲気を作り出すために.そればかりか,彼らのうちの多くは,カトリック教会の関連組織のなかで あるいは クリスチャンの施設[団体,組織]のなかで[雇用されて]働いている.[フラマン語圏の]司教たちは,この道をさらに進んで行くよう,協働者たちを励ます.その際,彼らは,使徒的勧告 Amoris laetitia[愛の喜び]— それを Papa Francesco は 2015年の 司教シノドスの後で 作成した — によって支えられている と感じている.識別する [ discernere ], 寄り添う [ accompagnare ], 統合する [ integrare ] — それらは,主要なキーワードであり続けている.

それらの語を以て,我々[フラマン語圏の]司教たちは,2021年03月17日,コミュニケを — homosexual の人々 および 同性カップルとの 司牧的なかかわりに関するコミュニケを — 発表した.Papa Francesco は,Amoris laetitia において,明確に こう述べている:「あらゆる人は,その性的指向にかかわりなく,尊厳において尊重されるべきであり,敬意を以て迎え入れられるべきである」(AL 250). 我々は,その道を進んでゆくことを 欲する — この司牧文書に,より構造的な性格を与えつつ.


司牧的ケア と 寄り添い

教会共同体の司牧的注意は,なかんづく,homosexual である人々自身に かかわる.彼らが 自身の性的指向を 認め,受けいれ,肯定的に生きるために たどる〈ときとして複雑な〉道のりにおいて,我々は,彼らに近しくあることを欲する.[彼らのなかには]独身であり続ける人々がいる.彼らは,我々が 彼らを 是認し 支えるに,値する.また,ひとりのパートナーとの持続的で誠実な結びつきにおいてカップルで生活することを選ぶ人々もいる.彼らも,また,我々が 彼らを 是認し 支えるに,値する.なぜなら,そのような関係は,教会が結婚と認めるものではないが,それでも,そこに与る者たちにとって 平安および共同の幸福の源であり得るから.

彼らの家族と親族も,この司牧的ケアの注意と寄り添いに 値する.理解と是認の態度は,とても重要である.Papa Francesco は,明示的に,このことを要請している:「それらの家族には,敬意に満ちた司牧的な寄り添いが提供されるべきである — 同性への性的指向を示す家族メンバーが,人生において 神の意志を理解し,それを十全に実現し得るために必要な 支えを 得ることができるように」(AL 250).

我々の注意は,また,より広い意味における社会 および 教会共同体にも 向けられるべきである.社会は homosexual であるメンバーを ますます認めるようになってきてはいるが,多く人々にとって 問題は未解決のままである.また,同時に,homophobe な 暴力が 頭を持ち上げることもある.よりよい理解が よりよい integration を 促し得る.


構造的な定着

フラマン語圏の司教たちは,彼らの〈homosexual の人々 および 同性カップルに対する〉司牧的なかかわりを 構造的に定着させることを 欲している.「家族に対する司牧的ケアのための教区間奉仕」のための政策チームは,その課題を引き受ける協働者を さらにもうひとり 必要とする.その任務のために,司教たちは,Willy Bombeek を 任命した.さらに,各教区は,教区内の〈家族に対する〉司牧的ケアの枠のなかで その〈家族に対する〉司牧的注意に配慮する者を 任命することになる.そして,その者は,教区からの諮問に答えることになる.Willy Bombeek は,教区間の調整者として,各教区の〈家族に対する〉司牧的ケアに配慮する者たちと協働し,必要な養成と指導を 彼らに提供する.


ミーティングの司牧 [ Pastoraal van ontmoeting ]

この司牧においては,出会いと対話が中心に位置している.安定した同性どうしの関係を生きている信者たちも,信仰共同体のなかでの敬意と是認を望んでいる.もし彼らが そこに属していない あるいは そこから排除されている という 感覚を持つならば,そのことは 彼らを 傷つける.彼らは,傾聴され 是認されることを 欲している.この司牧的な取り組みにおいて テーマとなるのは,このことである:[自身の性的指向に関して]不確かさから出発して,次第に[自身の性的指向が 自分自身にとって]より明確になり,[自身の性的指向を]受け容れることができるようになるまでの[その人の]歴史;教会の[homosexuality に関する]見解に対する疑問;恒常的なパートナーを持ち得ることの喜び;排他的かつ持続的な関係のための決断;相互的な責任を引き受けることの決意;教会のなかで また 社会のなかで 奉仕をしたい という 願望.

この司牧的な取り組みにおいては,精神的な識別と 内的な成長と 良心的な決断のための 場所が ある.Papa Francesco は,このことを要請している:結婚の「客観的」な[要するに『カトリック教会のカテキズム』において規定されている]理念に 完全に応じてはいない 生活状況において[生きている者についても]その者の良心を 是認し 支える こと:「良心は,真摯に かつ 正直に,このことを認めることができる:それ[今の生活]は,今のところ,神に献げることのできる 惜しみない答えである;そして,良心は,ある道徳的な確信を以て,このことを発見し得る:その答えは,〈神自身が求めている〉自己献身である — 制限[ある人が『カトリック教会のカテキズム』に示されている道徳規範に完全に適うことができないでいるという事態を生ぜしめる〈その人の決断能力を制限する〉諸因子]の 具体的な複雑さ[その人が生きている具体的な状況の複雑さ]のただなかにおいて — その答えが 客観的な理念に まだ十全に達していないとしても」(AL 303).

司牧の責任者 または 寄り添い人との ミーティング [ ontmoeting ] は,homosexual の 人々 または 同性カップルにとって,信仰共同体への integration のための 重要な きづなである.その integration について,Papa Francesco は こう書いている:「かかわっているのは,すべての人々を integrate することである;我々は,各人が 自分自身の〈教会共同体に属する〉しかたを 見つけることができるよう,助けねばならない — 各人が 自分が[神の]〈分不相応な 無条件的な 無償の〉慈しみ [ una misericordia immeritata, incondizionata e gratuita ] の 対象であることを 感ずることができるように.永遠に断罪されたままである者は 誰もいない — なぜなら,それは福音のロジックではないから ! わたしが言及しているのは,[民法的に]離婚したあとに再婚した人々のことだけではなく,しかして,すべての人々のことである — 如何なる状況にある人であれ」(AL 297).


愛と誠実のための祈り

司牧的ミーティングの際には,しばしば,「祈りの時」[ gebedsmoment : ドイツ語訳では Gebetsmoment ] を持ちたいという求めが 措定される — 神に このことを 請うために:神が この〈愛と誠実の〉誓約を 祝福し 確かなものにしてくださること.祈りが 具体的に 如何なる内容と 如何なる形式を 取り得るかについては,当事者が司牧責任者と相談するのが よい.そのような「祈りの時」は まったく簡素なしかたで 持つことも できる[訳注:が,また,他方で,以下に提示されているように,結婚式のように 家族と友人を招いて 盛大に 持つこともできる].いづれにせよ,教会が「秘跡としての結婚」のもとに理解しているものとの相違は,明白であらねばならない.

祈りの時は,例えば,次のようであり得る:

1) 始めのことば
2) 始めの祈り
3) 聖書朗読
4) 両当事者の誓約.ふたりは ともに,神の前で,相互的な誓約を 表明する.たとえば:

愛と誠実の神よ,
今日,わたしたちは あなたの前に 立ちます
家族と友人たちに囲まれて.
わたしたちは あなたに 感謝します
わたしたちが互いに出会い得たことを.
わたしたちは 人生のすべての状況において
互いのためにあることを 欲しています.
わたしたちは ここに 確信に満ちて このことを 表明します:
わたしたちは 互いに 相手の幸福のために 日々 働くことを 欲します.
わたしたちは 祈ります:
互いに誠実であるための力をください;
わたしたちの誓約を深める力をください.
わたしたちは あなたの近しさに 信頼します;
わたしたちは あなたのことばによって 生きます
永遠に 互いに 相手に 与えられて.

5) 共同体の祈り.共同体は,このことを 祈る:神の恵みが 彼らのなかに 働くこと — 彼らが 互いのために また〈そのなかに彼らが生きているところの〉より大きな共同体のために 気づかうことができるように.たとえば:

父なる神よ,
わたしたちは 今日(氏名)と(氏名)を わたしたちの祈りを以て 囲みます.
あなたは 識っています,彼らの心を,
また,彼らが 今後 ともに歩むことになる道を.
彼らの互いに対する誓約を より強め,より誠実に してください.
彼らの家を 理解と寛容と思いやりに満ちたものに してください.
そこに 和解と平和の場が ありますように.
彼らが分かち合う愛が,彼らにとって 喜びとなりますように;
そして,彼らを我々の共同体のなかで奉仕可能にしてくれますように.
わたしたちに 力を 与えてください — 彼らとともに あなたの息子[わたしたちの主 イェス キリスト]の足跡にしたがって 歩むために,
そして,あなたの息吹によって強められて.

6) とりなしの祈り
7) 主の祈り (Pater noster)
8) 終わりの祈り
9) 祝福の願い [ Zegenwens : ドイツ語訳では Segnenswunsch ]


ブリュッセル,2022年09月20日

フラマン語圏 司教団

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以上の発表に関して,Johan Bonny アントワープ司教は,こう述べています:

我々の意図は,普遍の教会に取ってかわることではない.我々の意図は,ここで為されるべきことを為すことである.ここに,ひと組のカップルがいて — それが 男性どうしであれ 女性どうしであれ — 彼らは,順境においても逆境においても ともに生きることに yes と言いたいと思っており,そう生きることを誓約したいと思っているとする;それを拒むなら,我々は いったい 何者であるか?

また,ルーヴァン カトリック大学 神学部の 客員教授 Jos Moons 神父は,こう述べています:

同性どうしの関係は,フラマン語圏においては,幾人かの司教と司祭によって,祝われてきた — 秘密裏にではあれ.人々が そのこと[同性カップルの祝福]について このように明白に語るようになった という 事実は,善き知らせである.

さらに,USA の LGBTQ カトリック信者の 団体 New Ways Ministry の 理事長 Francis DeBernardo は,こう述べています:

フラマン語圏の司教たちは,同性カップルをまことに歓迎するために必要な〈重要な〉司牧的問題を 認めた.彼らは「愛は愛である」と認めた.愛は,性的な行動より より重要である;そして,愛は,教会が常に祝福すべきものである.

それらの祝福は,LGBTQ people の 完全な人間性を 認めることの 始まりとなるだろう — 彼らの〈愛に対する〉人間的な必要 および〈愛を表現することの〉人間的な必要は 神に由来している ということを 認めることによって.そして,それは,まことに,カップルと教会のための祝福である.

これ[フラマン語圏の司教たちの 同性カップルに対する祝福の 決断]は,重要な一歩である — なぜなら,それは,どれほど現実的かつ持続的な変化が カトリック教会のなかで 起きているかを 示しているからである.司牧的実践は,常に,教義の変更に 先行する.この行為[フラマン語圏司教たちの決断]は,来るべき出来事の徴である.

フラマン語圏の司教たちの〈同性カップルに対する祝福〉の 決断が カトリック教会全体のなかで 10年後,20年後,どのような実を結んでいることか,楽しみですね!(遅すぎる? しかし,カトリック教会の歩調は そんなものなのです.辛抱強く待ちましょう — 主の再臨を待つのと同様に).