Jn 6,39-40 :
そして,これが,わたし[イェス]を遣わした者[父なる神]の意志である:わたしが,彼がわたしに与えた者たちのなかから ひとりたりとも失わないこと,しかして,終末の日に 彼らを すべて 復活させること.なぜなら このゆえに:これが わが父の意志である:息子を見て 彼を信ずる者たちが すべて 永遠のいのちを有すること;そして,わたしは 終末の日に 彼らを すべて 復活させるだろう.
§ 2.1. 谷口幸紀神父は 如何なる人物であるか§ 2.2. Neocatechumenal Way と Redemptoris Mater Seminary
§ 3. 谷口幸紀神父の「書評」および
彼の LGBTQ に関する考えに対する批判
§ 3.1. 谷口幸紀神父の攻撃対象は 実は もっぱら transgender である§ 3.2. 谷口幸紀神父は 神の意志が何に存しているかについて 誤解釈を犯している§ 3.3. 谷口幸紀神父は 実存論的観点を 欠いている
§ 4. 実存論的性別について
§ 5. おわりに
§ 1. はじめに
カトリック社会問題研究所が隔月刊で発行する『福音と社会』誌の 323号(2022年08月31日付),324号(同年10月31日付),そして,325号(同年12月31日付)に,谷口 幸紀 神父による書評『「LGBT と キリスト教
— 20人のストーリー」を読んで』が
発表された.
それは「書評」と題されてはいる;だが,そこに述べられているのは,当該の本の内容に関する批評ではまったくなく,しかして,sexuality と
gender に関する
保守的カトリックの紋切り型の考え — つまり,homosexuality と
transgender に関する無理解と誤解と混乱と偏見と侮辱と差別,および,生殖に関する
原理主義的な natalism(避妊と人為的妊娠中絶を絶対に許さない主張)— にすぎない.
そのような谷口幸紀神父の「書評」に対して,キリスト教において差別されている人々の人権を擁護する立場を取る幾人かのクリスチャンが,その第
3 部の『福音と社会』誌 325号への掲載を待たずに,批判と抗議を表明した.また,『LGBT と キリスト教
— 20人のストーリー』の編集を担当した
市川
真紀
氏も,カトリック社会問題研究所と『福音と社会』誌に対して
抗議した(キリスト新聞オンライン版 2023年01月23日付記事を参照).
わたしとしては,谷口幸紀神父の主張に対する批判を展開するために,彼の「書評」の完結を待つことにした(わたしが注文した『福音と社会』誌の三つの号は,まとめて,1月16日に
わたしのところに届いた).さらに,彼の自伝的著作『バンカー そして 神父 — 放蕩息子の帰還』(亜紀書房,2006年),および,彼のブログ記事にもとづいて編集された本『司祭
谷口幸紀の「わが道」』(フリープレス,2013年)も,参考にした.
『LGBT と キリスト教
— 20人のストーリー』(平良愛香 監修,日本キリスト教団出版局)そのものについては,今や
多言不要であろう.それは,日本人 LGBTQ クリスチャンの証言 — 日本において
LGBTQ であり かつ
クリスチャンであることが
如何なることであるかの
証言
— を集めたものである;そして,日本における〈そのような証言集の〉初めての出版である.
同書は,2022年03月に出版されるや,キリスト教関係の書籍のなかで ベストセラーとなった.実際,同書は,そうなるに値するほどに画期的なものである.
菊地 功
東京大司教も,同書
(p.126) に 短いコラム記事を
寄稿している;そして,そこにおいて,彼は
こう述べている:
[従来,カトリック教会は]倫理の原則を前面に掲げて[homosexuality を]裁いてきた;[そのように]教会から排除されてきた性的マイノリティの存在にも[フランシスコ教皇は]目を向ける;[そして]教皇は[こう呼びかけている:ある人が homosexual であるとする;そのとき,我々は]その人の性的指向にかかわらず,その人の[人間としての]尊厳のゆえに[その人を]尊重し,軽蔑することなく[その人を 教会に]受けいれるべきであり,[その人に対して]不当な差別をしてはならず,また,言うまでもなく,いかなる攻撃や暴力もあってはならず,[しかして,その人に]心を配るべきだ.
また,寄稿者のうち幾人かは,わたしと
わたしの友人 宮野 亨 氏が
2015年に始めた「LGBTQ みんなのミサ」に 言及してくれている.「LGBTQ みんなのミサ」は,アメリカの
James Martin
神父 SJ にならって言うなら,カトリック教会と LGBTQ community との間に「橋を架ける」こと (building a bridge) の試みである.毎月
第 3 日曜日の午後に 都内で
おこなわれる ミサは,パンデミックのせいで
26ヶ月間 中断されていたが,2022年05月に 再開されている.諸外国におけるように,lesbian または gay または bisexual または transgender または questioning である カトリック信者が みづから LGBTQ みんなのミサの代表となってくれることを,わたしと宮野亨氏は 心待ちにしている.
§ 2. 予備論
§ 2.1. 谷口幸紀神父は 如何なる人物であるか
まず,谷口 幸紀(たにぐち こうき)神父が
如何なる人物であるかを,彼の自伝的著作『バンカー そして 神父
— 放蕩息子の帰還』(亜紀書房,2006年)にもとづいて,見てゆこう.その表題が示唆するように,彼の人生は
確かに 波瀾万丈である.
彼は,1939年12月15日に,大阪で生まれた.今年(2023年)の誕生日で 84歳になる.
彼の父は,内務省の官僚であり,地方の警察部長を務めていた.定期的な転勤があった.父が宮城県警察部長であったとき,1945年07月に,彼の一家は 仙台で 空襲に遭っている.敗戦後,父は,広島県警察部長となった;しかし,1947年12月の昭和天皇の広島行幸(その際,父は警備の責任者であった)の直後に
公職追放の処分を受け,失職した;その後,どのような職業についたのかは,谷口神父の自伝からは不明である.
彼の母は,神戸市内で病院を経営する医者の娘であり,神戸女学院に在学中,プロテスタントの洗礼を受けた.敬虔な信者であり,教養と芸術的才能に恵まれていた.敗戦後,結核に罹患し,彼が
8歳のときに 帰天した.
彼の兄弟は,2歳上に 姉が ひとり(彼女は,プロテスタントの洗礼を受けたが,後にカトリックに転会し,そして
修道女となる),4歳下に 妹が
ひとり.そして,父と継母(彼の母の死去後,彼の父は再婚する)との間に
弟がひとり 誕生する.
彼の妹は,14歳時に Schizophrenie の症状を呈し始め,長期間
入院治療を受けることになる.彼は,しかし,入院中の彼女の〈生気を失った〉状態を見て,強い憐れみを覚える;彼は,入院治療によって妹の病状はむしろ悪化している,と感ずる;そして,金融業界で働いていた時期の最後の期間(何年間かは不明),妹を退院させ,外来治療とリハビリテーションを彼女に受けさせる.それによって,彼女の病状は非常に改善し,日常生活能力もかなりの程度に回復したようである.しかし,その後,彼女は,ふたたび入院治療を要することになり,結局,彼が
1994年に司祭叙階の秘跡を授かる直前に,病院内で亡くなる(谷口神父は「彼女は自殺したにちがいない」と確信している).
さて,彼の一家は,彼の小学生時代の終わりころ,神戸市内で暮らし始める.そして,彼は,イェズス会が運営する六甲学院に入学する;早くも
中学 2 年生のとき,洗礼を受ける;そして,大学受験を控えた 高校 3 年生の正月休みに,広島の修練院での一週間の黙想会に参加するよう勧められ,その勧めに従う.そのときまで,彼は,京大または阪大の理科系の学部を受験するつもりであったが,その「洗脳合宿」(「その黙想会の目的は,優秀な生徒のなかから将来のイェズス会士をリクルートすることに存していた」と
谷口神父は イェズス会のやり方への批判をこめて
自伝に書いている)のおかげで,イェズス会の司祭になるために上智大学を受験することを決心する.
1958年04月,彼は 上智大学に入学する.学生寮では,一年先輩の 森 一弘(後に
東京大司教区補佐司教;彼は,イェズス会が神奈川県内で運営する栄光学園の卒業生であったが,イェズス会士とはならず,カルメル会に入ることになる)が
一緒であった.
イェズス会の司祭となる者は,上智大学での二年間の教養課程のあと,広島の修練院で
二年間の修練期間をすごす.谷口は,しかし,修練期間の一年めの途中で
イェズス会が敷いたレールのうえを 言われたとおりに進んでゆくことに 疑問を懐くようになる(そのような疑問を懐くことは,とてもよいことである
— まったく疑いのない「信仰」は
一種のパラノイアにほかならない).そして,修練期間の一年めの終わりに
イェズス会から出ることを決断する.だが,それは,彼にとって,司祭になるという目標をも放棄することではなかった(しかし,当時,彼は,ほかの修道会に入る
または 教区司祭の養成過程に入る
という選択肢を取ることもできなかった).
彼は,上智大学の一学生の身分に戻り,フランス語学科で聴講生として一年間をすごしたあと,広島の修練院から戻ってきた同級生たちとともに「ラ哲」(ラテン語を第一外国語とする哲学科のコース)で学ぶ;さらに,大学院へ進学する;そして,博士論文を準備しつつ,中世哲学研究室の助手となる.
さて,1968年,大学紛争が活発であったとき,上智大学でも
全共闘が校舎を占拠し,大学の活動が 長期間 阻害されていた;その事態に対して
Giuseppe Pittau 理事長(当時)は,やむを得ず
機動隊の導入を要請する;そこで,1968年12月21日 早朝,校舎を占拠していた学生たちは,機動隊によって 排除され,逮捕される;そして,大学当局は,数ヶ月間,大学を閉鎖する.
当時を知る ある司祭によると,この上智大学の強行措置の結果,日本全国において,学生たちは
カトリック教会に対する信頼と希望を 失った;多くの大学のなかにあった「カト研」(カトリック研究会)は,メンバーを失い,消え失せていった.つまり,この大学紛争解決の「上智方式」は,日本の若者たちにおけるカトリック信仰に対する関心の喪失を
もたらすことになった.それに対して,韓国では,大学紛争の際,ソウルの大聖堂のなかに逃げ込んできた学生たちを
大司教は かばい,警察や機動隊が教会のなかに入ることを
許さなかった;そのとき,韓国の若者たちは カトリック教会を称賛した.そのことは,現在の韓国におけるキリスト教信仰の広まりに貢献しただろう.
話しを谷口幸紀神父自身に戻すと,1969年,上智大学では,大学の諸活動が正常に戻ると,全共闘のシンパと見なされた教職員たちに対する「粛清の嵐」が吹き荒れる.助手であった谷口も,こう告げられる:「あなたは,上智大学で
助手より上の研究職に就く可能性を もはや有していない」.そこで,彼は 即座に 辞職する.
そのような谷口に,彼のことを以前から識る
三人の ドイツ人
イェズス会司祭が 憐れみをかけてくれる : Hermann
Heuvers, Bruno Bitter, Hubert Cieslik. 彼らの口利きによって,谷口は,ドイツの大銀行のひとつ
Commerzbank に
職を得る(彼は その経緯を「裏口入学」に
たとえている).こうして,彼は,30歳にして,神に仕える道からはずれて,Mammon に仕える生活を 始める (cf. Mt
6,24).
国際金融の業界で,彼の才能と業績は評価され,彼は
いくつかの会社を渡り歩き,その業界における輝かしいキャリアを築く.しかし,Mammon — 現代の経済学の用語で言えば「資本」— に仕える生活を続けることは,谷口にとって,悪魔に仕え続けることであった.それがゆえの罪意識が
彼に 重く
のしかかってくる.そして,彼は,ついに,1985年,三つめの勤め先であった
Samuel Montagu 銀行を辞め,神に仕える道に戻ることを決意する.
森一弘司教の示唆にしたがい,彼は,まず,フランシスコ会の門を叩く.そして,同会における三年めを
浦和の修練院で 修練者として
すごす.しかし,結局,彼には 最初の有期誓願を立てることは 認められない.
そこで,再び,彼は,森 一弘 司教に
相談する;規模の小さな教区の司祭になることを目ざすのがよかろう(なぜなら,そのような教区は慢性的に司祭不足に悩んでいるから)という示唆のもとに,彼は,高松教区(四国全体を所轄する教区;教区全体の信徒数は
現在 約
4,000 人,つまり,聖イグナチオ教会[小教区名としては麹町教会]に信徒籍を置く信徒の数
約 17,000 人の 1/4 以下)の門を叩く.案の定,深堀 敏 司教(当時)は
彼を 大歓迎する.
しかし,日本の教区司祭養成機関(カトリック神学院)は
谷口の入学を認めない(日本でも,今は,40歳代で司祭に叙階されるケースは
珍しくはない — それでも 40歳代までだろう — が,当時,50歳になろうとする者を新たに神学生として受け容れることは 日本では 問題外であっただろう).ところが,1989年11月,ローマの Pontificia Università Gregoriana が
彼を学生として受け容れてくれることになる(その詳しい経緯は不明).次いで,翌
1990年09月,彼は,ローマ教区に属する司祭養成機関のひとつ Seminario Redemptoris Mater[救い主の母
神学院]— それは 1988年に設立されたばかりであった — への入学を認められる.そして,それによって,彼は,あの
Cammino neocatecumenale (Neocatechumenal Way) と出会う(Neocatechumenal
Way と Redemptoris
Mater Seminary については 後述).
その後,彼は,順調に,1993年12月に ローマで 助祭に叙階され,次いで,1994年03月,高松で 深堀敏司教により 高松教区の司祭として 叙階の秘跡を授かる.
だが,彼は いったん ローマに戻る
— Università Gregoriana で
神学修士の学位を取得するために;それは,深堀敏司教による招致のもとに
高松教区に
1990年12月に
開設された
司祭養成機関「レデンプトーリス
マーテル
国際
宣教
神学院」で教えることができるようになるために必要なものであった.
そして,1997年,彼は,帰国し,いよいよ高松教区の司祭として働き始める…
§ 2.2. Neocatechumenal Way と
Redemptoris Mater Seminary
谷口は,彼の自伝のなかで,彼が学んだ ローマの Seminario Redemptoris Mater について,こう書いている:
100人あまりの神学生を擁する この神学院は,できて まだ 2年目であった.神学生らの年齢は 比較的 高く,40ヶ国あまりから集まった彼らは 多種多彩で,しかも,野生動物のように たくましかった.(…) この神学院は,イェズス会の修練院とも フランシスコ会の修練院とも まったく違っていた.古い伝統を守りながら,すべてにわたって キコという男の精神で 新しく生かしなおされていた.彼と会って初めてわかったのは,わたしがどこに行っても受け入れられず,50歳まで 落ち着きどころがなかったのは,こうして 今 この男と運命的に出会うためだった,ということである.
そこで「キコ」と呼ばれているのは,Francisco José Gómez de Argüello y Wirtz[フランシスコ ホセ
ゴメス アルグェリョ
イ ヴィルツ],通称
Kiko Argüello[キコ
アルグェリョ]である.彼について,谷口は こう書いている:
この 20世紀のフランシスコは,アシジのフランシスコのように深い信仰の人であると同時に,盛期ルネサンスの巨匠 ミケランジェロの再来を思わせるような総合芸術家であった.キコは,スペイン北部のレオンに,1939年 1月 9日に生まれている — 同じ年の12月に生れた わたしより,ほとんど 1歳 年上である.天は二物を与えないと言うが,それは まったくの嘘である.ある人には ひとつだって まともに与えないのに,キコには 二物どころか 五物も 六物も 与えているではないか! 彼は,ギターを抱えて歌えば,マドリッドの場末のフラメンコ歌手そこのけの 喉と指さばきであった.もともと マドリッドのアカデミー[Real Academia de Bellas Artes de San Fernando, 1752年創立]の 画学生であった 彼は,絵や壁画を描き,彫刻や建築設計にも非凡な才能を遺憾なく発揮した.彼の作曲による宗教曲は,今や 世界中で歌われている.しかし,何よりも すごいのは,彼の話術である.1時間でも 2時間でも,彼が火を吐くような言葉で語り始めると,何千人,何万人もが 魂を引き込まれてゆくのであった.わたしは 彼のなかに アシジのフランシスコの再来,いや,ひょっとして それ以上のものを見ているのかもしれない.
何と 谷口は Kiko Argüello を理想化していることか! ともあれ,確かに,Kiko は とても
charismatic な
人物なのであろう.彼に関する情報を補足しておくと,彼は 元来 マルクス主義者であり,反フランコ派であり,無神論者であった.しかし,学生時代,彼は,実存的危機
— それは極端なニヒリズムに存していた
— に陥る;そして,その危機的経験をとおして,Jesus Christus と出会う.そこから,彼は,Movimiento de Cursillos de Cristiandad[キリスト教に関する短期講義の運動:スペインで 1949年に始まった カトリックの一般信徒による信仰深化運動]に参加する;そして,彼自身
catechist となる.そして,聖
Charles de Foucauld から受けたインスピレーションのもとに,1960年代の始め,マドリド郊外の貧民街で
— つまり,制度化された教会の外において,制度化された教会から排除された
あるいは そこに入ることができない
人々のために — Camino
neocatecumenal(Cammino neocatecumenale, Neocatechumenal Way, 新求道共同体の道 または 新求道期間の道)と名づけられることになる
一般信徒による〈福音宣教 (evangelization)
と 信仰教育
(catechesis) の〉活動を
始める.ある意味で,Kiko
Argüello は,まさに,Papa Francesco の言う
“Chiesa in uscita”[外へ出てゆく教会]と
“Chiesa come un ospedale da campo dopo una battaglia”[戦闘のあとの野戦病院のような教会]を 先取りして 実践しているかのようである.
ところで,「求道」という仏教用語を以て 不明瞭に翻訳されている 形容詞 catechumenal (catéchuménal, catecumenale) は,より正確には,如何なることを 言っているのか?
その語源は,catechesis
(catéchèse, catechesi) の それと 同じく,ギリシャ語の κατηχέω[教える;特に,口頭で — 口から発せられる言葉で — 教える]である.Catechesis という語が 動詞 κατηχέω に由来する 能動的な意味の名詞
κατήχησις[instruction
: 教えること]に由来するのに対して,そこから catechumenal という形容詞が派生するところの名詞 catechumen (catéchumène,
catecumeno) は,κατηχέω
の 受動態 現在分詞
κατεκούμενος
の 名詞化[教えられる者,教えを受ける者]に由来する(ちなみに,catechism [catéchisme,
catechismo] という語は
ギリシャ語の動詞 κατηχίζω に由来する;その語は κατηχέω と同義である).
したがって,catechumenal という形容詞の意味は「catechumen[受洗の準備のためにキリスト教信仰に関する教えを受ける者]に関する」である.
その語に “neo-” が付された “neocatechumenal” は:「過去に洗礼を受けたが,その後,信仰を失ってしまったので
あるいは 不確かな信仰をしか持つことができていないので,今,あらためて,信仰を取り戻すために
あるいは 信仰を確固たるものにするために
信仰に関する教えを受ける者」に関する.
したがって,Neocatechumenal Way は:「過去に洗礼を受けたが,その後,信仰を失ってしまったので
あるいは 不確かな信仰をしか持つことができていないので,今,あらためて,信仰を取り戻すために
あるいは 信仰を確固たるものにするために
信仰に関する教えを受ける者が 歩む 道」.
Kiko Argüello が 手本とするのは,初期キリスト教会において行われていたであろう
catechesis である.初期キリスト教,すなわち,皇帝
Constantinus によって容認される以前のキリスト教;初期教会,すなわち,皇帝の指導のもとで制度化されてゆく以前の教会
— そこにおいては,clericalism[聖職者中心主義]はまだ成立しておらず,しかして,多くの一般信徒が福音宣教と信仰教育に積極的に携わっていたであろう.Kiko Argüello は,そのような一般信徒のダイナミズムを
現代のカトリック教会に 復活させようとする.そして,そのことは,第 2 ヴァチカン公会議における「一般信徒の使徒職」の重視の方針と
完全に一致する.
それゆえ,Neocatechumenal Way の共同体の活動は,まもなく
マドリド大司教によって取り立てられる;さらに,スペイン以外の国々へも広がってゆく.
1974年05月08日の一般接見の際に,聖 パウロ VI 世は,「Comunità
Neocatecumenali の運動を代表する 聖職者たちと 一般信徒たち」の活動を
第 2 ヴァチカン公会議の精神に適うものとして 称賛し,彼らを祝福する.その後の教皇たち(聖 ヨハネパウロ II 世,ベネディクト XVI 世,フランチェスコ)も,Neocatechumenal
Way の 活動を
称賛する;そして,Neocatechumenal
Way は,最終的に 2008年に 教皇庁によって
国際的な consociatio
christifidelium[キリストを信ずる者たちの団体]として
公認される.
今や,Neocatechumenal Way の活動は,既に洗礼を受けたクリスチャンたちの信仰教育に限られておらず,しかして,まだ洗礼を受けていない者たちへの福音宣教と信仰教育をも含む.
また,1988年に ローマで 最初の〈Neocatechumenal Way の精神のもとに
教区司祭を養成する〉神学校 Seminario
Redemptoris Mater が 設立される;今や 全世界に 100 以上の Redemptoris
Mater 神学院が 司祭養成を行っている
と言われている;それは,各司教区に属する神学校であるが,そこで養成された司祭は,司教の意向により,彼が属する教区以外の地域へも派遣され得る.
さらに,Neocatechumenal Way の活動を特徴づけるのは,Families in Mission[家族派遣]である.通常,福音宣教のために派遣されるのは,司祭たち(彼らは
当然 独身)であるが,それに対して,Families in Mission においては,結婚の秘跡を授かった一般信徒のカップルと彼らの子どもたちが構成する家族が,家族ごと,派遣される
— 自分たちが住んでいたところを離れて,福音宣教が必要とされる場所(全世界のどこであれ)へ.要するに,Families in Mission は,プロテスタントの宣教師の家族と同様の働きを為すよう,期待されている.現在,Families in Mission は
全世界で 1000 以上 活動している
とされている.
以上に見てきた限りでは,Neocatechumenal Way の活動は,第
2 ヴァチカン公会議の精神の観点からも,称賛に値こそすれ,批判されるべき点は皆無であるかのように
思われるかもしれない.しかし,わたしは,今回,Neocatechumenal Way について
詳細に調べてゆくうちに,看過すべからざることに気づいた(そして,それは,谷口幸紀神父の
homophobia および
transphobia と密接に関連している)— それは,このことである:
2008年に行われた
ある〈Neocatechumenal
Way の〉会合において,ウィーン大司教(当時)Christoph Schönborn 枢機卿は,こう言って
Neocatechumenal Way を「称賛」した:
過去 40年間に,ヨーロッパは 自身の将来に対して 三度 否と言った:まず,1968年に Humanae Vitae[聖 パウロ VI 世の 回勅 — そこにおいて,彼は,birth control のための人為的な避妊を 伝統的な lex naturalis(自然法)への準拠において 断罪している]を拒絶したとき;次いで,その 20年後,人為的な妊娠中絶の合法化を以て;そして,今日,同性婚[の法制化]を以て.それは,もはや,道徳の問題ではなく,事実である.たとえば,ドイツにおいては,今日,100人の親に対して,子どもは 70人であり,孫は 44人である.二世代のうちに 人口は半減する.それは,将来に対する 事実的な「否」である.ヨーロッパにおいて 将来を励ましてきた — かつ,現在も励ましている — 唯一の声は,カトリック教会 — パウロ VI 世,ヨハネパウロ II 世,ベネディクト XVI 世,ならびに そのほかの多数の者たちとともに — である.Neocatechumenal Way は,疑いなく,この状況に対する〈聖なる息吹の〉ひとつの答えである.そのことを,わたしは,司教として かつ 牧者として 見てきた.わたしは 見てきた:親たちが いのちに対して「然り」と言う —[新しいいのちを]勇気づけ,[新しいいのちに対して]惜しみない しかたで — のを.[それによって]彼らは 将来に対して「然り」と言っているのだ.
Christoph Schönborn 枢機卿の名誉のために付言しておくなら,彼は,Papa Francesco の着座以降,上述のような
homophobia の態度を改めている;彼は,2021年には,同性カップルが祝福を求めてくれば,それを拒むことはできない,とさえ述べている.
ただ,彼は,2008年の時点においては,まだ homophobic であった.そして,上述のようなことを
彼が Neocatechumenal
Way の会合で言ったとすれば,それは このことを示唆している :
Neocatechumenal Way は 本性的に anti-LGBTQ
である.
そして,そのことは 特に Neocatechumenal
Way の 家族観に関して
言えることであろう.Families
in Mission として派遣される家族は,結婚の秘跡を授かった
cisgender and heterosexual であるカップルが成すものでなければならない;彼らの子どもたちも
cisgender and heterosexual でなければならない;勿論,同性カップルが成す家族は
容認され得ない;その家族の子どもが transgender である または homosexual
である という事態も
容認され得ない;そして,付言すれば,Families in Mission は
原理主義的な natalism
の 立場を
取らねばならない(要するに,LGBTQ
に関する 谷口幸紀神父の主張は
以上のような Neocatechumenal
Way の 家族観に
もとづいている,と言うことができるだろう).
ここで,我々は,日本における〈anti-LGBTQ の 立場を取る〉プロテスタントの活動 Network for Biblical Understanding of Sexuality(NBUS : 性の聖書的理解 ネットワーク)の
メンバーのひとり,Family
Forum Japan 代表,宣教師 Tomothy Cole 氏のことを 思い出さずにはいられない
— 彼は,彼の息子のひとりが gay であることを 公にしている.彼は,息子に対して寛容な態度で接している と言っている;だが,息子自身は どう思っているのだろうか —
homosexuality を断罪し,彼を ありのままでは 決して是認しようとしない
彼の親のもとで?
そして,Neocatechumenal Way の
Families in Mission のなかにも,必ずや,homosexual である 子ども または
transgender である
子どもを 有する
家族が いるだろう;そして,その子は,Neocatechumenal Way の
厳格な anti-LGBTQ
イデオロギーのもとで,どれほど苦しんでいることだろうか!
我々は,そのような子どもたち(Cole 氏の gay である 息子も 含めて)のために
祈らずにはいられない.
このセクションの最後に,谷口幸紀神父の日本における活動との関連において,高松教区において
Redemptoris Mater 神学院と
その卒業生である司祭たちが 惹き起こした 問題を
紹介しておこう.
カトリック司祭の養成の機関は,二種類ある:ひとつは,各司教区に属する神学校であり,そこにおいては教区司祭が養成される;もうひとつは,修道会(たとえば
イェズス会)が運営する神学校であり,そこにおいては その修道会のメンバーとなる司祭が養成される.
日本では,各司教区が それぞれ 神学校を持つほどに
多数の神学生が召命されることは(残念ながら)ないので,教区司祭を養成する神学校は
ふたつだけである:東京カトリック神学院と 福岡カトリック神学院(後者は,かつては「福岡サンスルピス神学院」と呼ばれていた).福岡カトリック神学院では,九州の四つの教区および那覇教区の司祭が養成され,東京カトリック神学院では
それ以外の教区の司祭が養成される.
ところが,既に述べたように,慢性的な司祭不足(高松教区では,谷口神父の叙階以前,40年間,新司祭はひとりも誕生していなかった)に悩んだ
深堀 敏
高松司教は,Redemptoris
Mater 神学院を 高松教区の神学校として
招致する;それは,1990年12月に 開設される.そして,1997年に帰国した 谷口神父は,高松教区の司祭 および Redemptoris
Mater の 教師として
働く.
Redemptoris Mater 神学院は,期待どおり,神学生を諸外国から集め,多数の新司祭を生み出す.しかし,それらの新司祭たちと
高松教区の信徒たちとの間に 軋轢が生ずる(菊地 功 新潟司教[当時]の ブログ記事 および
溝部脩 前 高松司教の 記事 を参照).
その理由は,おおまかに言って
ふたつあった:ひとつには,Redemptoris
Mater 出身の司祭たちは 高松教区の小教区の従来の慣習を無視した;ふたつめには,彼らは,司教に
従わず,しかして Neocatechumenal
Way の 指導部に
従った.
そして,そのような事態が生じていたとすれば,それは
このことを示唆している:谷口神父 — 彼は,当時,高松教区の Redemptoris Mater の
神学生たち および
そこで養成された司祭たちを指導すべき立場にあったはずである — は,そのような事態を防ぐために有効な措置を
何も とらなかった,あるいは,とれなかった.
Neocatechumenal Way と Redemptoris
Mater 出身の司祭たちによって惹起された高松教区内の混乱は,教皇庁が調査に乗り出さざるを得ないほどに
たいへんなものであった.そして,その結果,深堀 敏 司教
(1924-2009) が
2004年05月に 満 79歳で 退任し,代わって
溝部 脩
司教(1935-2016 ;
2000-2004年 仙台司教 ;
2004-2011年 高松司教)が 2004年07月に 高松司教として着座すると,まもなく,谷口神父は,2005年,ローマの Pontificia Università Lateranense の
付属研究所へ 出向させられる(要するに,彼は,高松教区の司祭という身分を剥奪されはしなかったものの,事実上,高松教区から追い出される).そして,2008年,高松教区の Redemptoris Mater 神学院は,高松においては閉鎖される(形の上では,それは,ローマに移され,教皇庁の直轄のもとに置かれるのだが).
確かに,Neocatechumenal Way と
Redemptoris Mater が 特定の教区のなかで これほどの混乱を惹き起こしたケースは,全世界的に見れば,例外的であるようだ.しかし,驚くべきは
このことである:谷口神父は,Redemptoris
Mater 出身の司祭たちが高松教区で惹き起こした混乱について,まったく反省していない;しかして,彼は,むしろ,その事態は
日本の司教たちの Neocatechumenal
Way に対する 抵抗のせいで
起きたのだ,と 主張している.
日本における Redemptoris Mater については,後日談がある
: 2018年08月,教皇庁の福音宣教省は,同省が「アジアのための
Redemptoris Mater 神学院」を東京に設立することを計画している,と
菊地 功
東京大司教に 通知してくる;そのことについて
菊地大司教は「困惑」を表明する;すると,10ヶ月後,2019年06月17日付の書簡において,福音宣教省 長官 Fernando
Filoni 枢機卿は,その計画を 事実上 撤回する(菊地大司教のお知らせを参照).
§ 3. 谷口幸紀神父の「書評」および
彼の
LGBTQ に関する考えに対する批判
前置きが長くなりすぎた — わたしの「職業」(精神分析家)に必然的にともなう〈個人の
life history への〉関心のせいで
谷口幸紀神父の波瀾万丈の人生を紹介するために費やした語が多くなりすぎたため;また,一般信徒による〈福音宣教と信仰教育の〉活動
Neocatechumenal Way — それは,聖
パウロ VI 世から パパ
フランチェスコに至る 歴代の教皇により 是認され,称賛されている — が そのものとしては
たいへん興味深いものであるので.
ともあれ,本来 論ずべきことへ ここで
やっと 入ることにしよう.
§ 3.1. 谷口幸紀神父の攻撃対象は 実は もっぱら
transgender である
谷口神父の言葉 :「この本[LGBT と キリスト教]の書評を書く作業は
(…) できれば引き受けたくなかった」を
真に受けるなら,彼の「書評」が書かれたのは『福音と社会』誌が 谷口神父に その執筆を依頼したからだ
ということになる.
しかし,谷口神父の「書評」は,当該の本の内容に関する批評ではまったくない;しかして,それは,sexuality と gender に関する 保守的カトリックの紋切り型の考え — つまり,homosexuality と transgender に関する無理解と誤解と混乱と偏見と侮辱と差別,および,生殖に関する
原理主義的な
natalism(避妊と人為的妊娠中絶を絶対に許さない主張)— の開陳にすぎない.ただ,谷口神父と 特にアメリカ合衆国で声高な伝統主義的カトリック保守との 相違があるとすれば,それは このことに存する:後者は 第 2 ヴァチカン公会議の意義を否定するが,それに対して 谷口神父が属する Neocatechumenal
Way は 第
2 ヴァチカン公会議の精神に則っている.
そして,彼が攻撃の対象とするのは,もっぱら
transgender の存在である;というのも,彼が彼のテクストのなかで用いている
“LGBT” という語は たいてい “transgender”
に置き換えることができるから.つまり,彼が 80歳代の高齢者であることを考慮に入れるとしても,彼の頭のなかで
用語法は あまりに混乱している.
実際,彼は,『LGBT と キリスト教』の書評を書くと言いながらも,彼のテクストのなかで,homosexuality そのものを
ほとんど論じていない — そもそも,彼は,homophobic なクリスチャンたちが homosexuality を断罪するために
必ず持ちだしてくる 聖書箇所(たとえば,Lv 18,22
または 20,13 ; および Rm 1,26-27)に,まったく言及していない.
しかして,谷口神父が持ち出してくる
聖書の一節は これ
(Gn 1,27) である
— transgender の存在を否定するために:
そして,神は,創造した — 人間 [ adam ] を — 彼[神]の 似姿において;[神は]神の似姿において 創造した — 彼[人間]を;男 [ zakar ] と 女 [ neqebah ] — 彼らを[神は]創造した.
その一節が,谷口神父にとっては,性別二元論を根拠づける.
そして,その次の一節 (Gn 1,28) は,彼にとって,原理主義的な
natalism を
根拠づける:
そして,神は 彼らを 祝福した;そして,神は 彼らに 言った:多産であれ,そして 多数であれ;そして 地を満たせ,そして それを服従させよ;そして 君臨せよ — 海の魚に対して,空の鳥に対して,そして 地のうえで動く生きものすべてに対して.
そして,そのために 結婚が義務づけられている (Gn
2,24) :
それゆえ,男[ish : 夫]は,彼の父と母から離れて,彼の女[ishshah : 妻]に 付く;そして,彼らは ひとつの肉になる.
確かに,Torah には そう書かれてある.しかし,それを 谷口神父のように 原理主義的に読むならば,神学すること と 断罪することは
可能であっても,我々キリスト者にとって最も重要な使命 — 福音を伝えること — の遂行は 不可能になってしまう;なぜなら,あなたは 特定の人々を 福音宣教の対象者たちのなかから
あらかじめ排除してしまうのだから.
谷口神父のように transgender の存在を 聖書の文言にもとづいて「ありえない」と決めつけることを,まず,やめよう.そして,その存在を
ひとつの人間学的事実として 認めよう.あるいは,ちょうど 今 話題になっている〈AP による〉インタヴューのなかで パパ
フランチェスコが〈homosexual
である人々に 刑事罰(死刑を含む)を課している国々を戒めるために〉言ったこと
: “ser homosexual no es un delito. Es una condición humana”[homosexual であることは,犯罪ではない;それは,ひとつの〈人間の〉存在様態である]にならって言うなら
: transgender であることは,聖書にもとづいて断罪さるべき悪魔的存在ではなく,しかして,ひとつの〈人間の〉存在様態である.
そして,そこから出発することなしには,transgender である人々に対する福音宣教も司牧的ケアも可能ではない.
我々は,谷口神父のように,transgender の人々に実際に出会う前から
その存在を 否定し,悪魔化するのではなく,しかして,パパ
フランチェスコにならって こうすべきである : transgender
である人に 実際に
出会う (incontrare)
; その人を 迎え入れる (accogliere)
; その人が語ることを 聴く (ascoltare)
; そして,そうしつつ,その人に 寄り添う (accompagnare) ; さらに,そうしつつ,その人がその人自身に関して識別 (discernere) するのを 助ける;そして,その人を
共同体の full
member にする (integrare).
その〈incontrare から integrare に至る〉過程は,catechesis においても かかわるはずである — 本当の意味における catechesis
が,単に教義を机上で「勉強」することに存するのではなく,しかして,ひとつの実存的な変化(μετάνοια : 回心)の成起に存するとするならば.
§ 3.2. 谷口幸紀神父は
神の意志が何に存しているかについて 誤解釈を犯している
次に,谷口神父の〈「神の意志」(τὸ θέλημα
τοῦ θεοῦ) ないし「神の計画」(ἡ πρόθεσις τοῦ θεοῦ) に関する解釈の〉誤りを 指摘しておこう.彼によれば,神の意志は Gn 1,28 において述べられている神の命令によって
表現されている:
多産であれ,そして 多数であれ;そして 地を満たせ,そして それを服従させよ;そして 君臨せよ — 海の魚に対して,空の鳥に対して,そして 地のうえで動く生きものすべてに対して.
そして,彼は こう述べている:
神は,人祖[アダムとエヴァ]の原罪によって破綻した宇宙創造の計画を立て直すため,人類の救済に着手した.アダムとエヴァの不従順によって 罪と死が人類の歴史に入ったが,第二のアダムであるキリストと第二のエヴァであるマリアの従順によって,死は討ち滅ぼされ,天の門は再び開かれ,キリストの復活によって 人類に「復活の命」が取り戻された.こうして,天地万物の進化の歴史は建て直され,人類が 空の星ように 浜辺の砂のように 増え,宇宙の果てまで拡大することが再び可能になった.人類が 増えて 繁栄し,宇宙に拡散してゆくためには,男女が 愛しあって 結婚し,子どもを産み,数においても増加することが必要だ.
また,彼は こうも書いている:
生命の源である 神の計画 — 産めよ,増えよ,地に満ちて,宇宙の果てまで拡散せよ — (…)
はたして そうなのだろうか? 人類が 宇宙の果てにまで拡散するよう
増多することが,神の計画,神の意志なのだろうか?
否 — なぜなら,『カトリック教会のカテキズム』(2822) は,「主の祈り」(Pater noster) に含まれる七つの求めのうち
三つめのもの「あなたの意志が 成起しますように — 天におけるように,地においても」(γενηθήτω τὸ θέλημά σου ὡς ἐν οὐρανῷ καὶ ἐπὶ γῆς) について,こう言っているから:
我らの父の意志は このことである:「人間たちが すべて 救済されること,そして,真理をよく識るに至ること」(1 Tm 2,04). 彼[我らの父]は「辛抱づよい — 滅びる者が誰もいないことを意図するので」( 2 P 3,09). 彼[我らの父]の命令 — ほかのすべての命令を要約しており,そして,彼の意志全体を我々に言っている 命令 — は,これである:我々が互いに愛しあうように — 彼[我らの父]が 我々を愛したように.
洗礼前の catechesis を受けた者は,誰でも,「イェスが
Torah のなかで最も重要と見なす 命令は 何か?」と問われれば,これらふたつを挙げて
答えることができるだろう (cf.
Mt 22,36-39 ; Mc 12,28-31) :
あなたの神 主を 愛せ — あなたの心すべてを以て,あなたの自身すべてを以て,あなたの力すべてを以て (Dt 6,05).あなたの隣人を 愛せ — その者があなた自身であるかのように (Lv 19,18).
谷口神父も,そう問われれば,躊躇なく
そう答えるだろう.しかも,神学校で学んだ彼なら,イェスがこう言い添えていることも
憶えているだろう:
それらふたつの命令に Torah[律法]と Nevi’im[預言者]との全体が 依拠している (Mt 22,40).
さらに,ヨハネは,それらふたつの命令を,こう総合している:
あなたたちは 互いに愛しあいなさい — わたし[イェス]が あなたたちを愛したように (Jn 13,34 ; 15,12).我々は 互いに愛しあおう — なぜなら 愛は神に由来するから ; (…) なぜなら 神は愛であるから (1 Jn 4,07-08).
それらのヨハネ的公式は,catechesis において,聖書のなかの最も印象的なことばとして
我々のなかに刻み込まれる.そして,先ほども見たように,『カトリック教会のカテキズム』も
こう言っている:その命令は,ほかのすべての〈神の〉命令を要約しており,そして,神の意志全体を表言している.
では,なぜ イェスは 我々に
そう命ずるのか? これがゆえに:
我らの救い主 神は,すべての人間たちが救済されることを 欲している (1 Tm 2,03-04).
それこそが 神の意志である;すべての人間たちの救済 — cisgender であろうとなかろうと heterosexual であろうとなかろうと すべての人間たちを 救済すること
— それこそが
神の計画である;谷口神父の言う「人類が 宇宙の果てにまで拡散するよう 増多する」ことは,神の意志と計画の核心を成すものではない.
そして,そのようなカン違いを谷口神父に許してしまうのは,彼が信奉するイデオロギー
— 原理主義的な natalism — である.
§ 3.3. 谷口幸紀神父は
実存論的観点を 欠いている
谷口神父に関して直前のセクションで指摘したことを言い換えるなら:彼には救済論的観点と終末論的観点が欠けている.
実際,彼は こう述べている:
神は,138億年におよぶ 宇宙の進化の歴史を,常に ひとりで 孤独に 導いてききた.しかし,神は,人類を創造したあと,さらなる宇宙の歴史を切り開く作業を ひとりでおこなうことをやめ,人格的存在である人類を 創造的進化という大事業のパートナーとして招き入れることを 望んだ.
そこから読み取られ得るのは,このことである:谷口神父の頭のなかにあるのは,創世記において物語られている神話と
現代の物理学的宇宙論との アマルガムである.そこには,救済論も終末論も無い(救済論と終末論は密接に関連しあっている).
また,谷口神父は,アダムとエヴァの原罪と失楽園に関して「神の創造の計画は
こうして 挫折した」と言っている.そのような表現も,彼が
創世記神話を 時間座標のうえで展開されていった一連の出来事として捉えていることを,示唆している.そして,そのような考え方には,救済論と終末論の余地はない
— なぜなら,それらは 時間座標のうえには位置づけられ得ないことについて問うものであるから.
いかにも,源初(無からの創造)と
終末と 救済を
神話的に思い描くことは 可能である.しかし,そのような論じ方は もはや有意義なものではない — 現代において,神との関係において 生きつつ,生かされつつ,救済を待ち望んでいる 我々にとっては.
そのような我々にとって必要なのは,信仰の実存論である.「実存論」(existentialisme) という語を見て,「何を
今さら」とつぶやきつつ 失笑する者は,失笑すれば よい.我々の実存論は,前世紀の或る時期 一世を風靡した Jean-Paul
Sartre の「実存主義」ではない.我々は,ただ,キリスト教において神話的に物語られていることを,我々自身の実存
— それを 我々は 神との関係において
生きており,かつ,そうしつつ 我々は 神との関係において
生かされている — にかかわることとして 捉え直そうとしているだけである.
もうすでにあまりに長くなってしまったこの記事においては,我々の信仰の実存論について詳しく論ずる余地はない
— なにしろ,まだ「性別」の概念について論じなくてはならないから
— ので,そうすることは別の機会に譲る.
§ 4. 実存論的性別について
性別について,我々は,常識的には,ふたつの概念を有している:ひとつは
生物学的 性別
(biological sex) ; もうひとつは
社会学的 性別
(sociological gender). 前者は,原則的に(ある種の先天的病理の場合を除いて)性染色体によって決定される.それに対して,後者は,社会学的な諸条件のもとで
構築される.つまり,前者は ある人の生の経験に先立つもの (a priori) であり,それに対して,後者は
ある人が 生きていくうちに 社会と家族のなかで 作られてゆくものである.
たとえば Simone de Beauvoir が
« on ne naît pas femme :
on le devient » と言うとき,それは このことである:ひとりの人間 (un être humain) が「わたしは女である」(je suis une femme) と言うとき,それは,単純に「わたしは 生物学的な意味における『女』(une femelle) として 生まれた」ということではなく,しかして,「わたしは わたしが生きていくうちに 社会学的な意味における『女』(un être féminin) になった あるいは その意味における『女』になるよう強いられてきた」ということである.
ただし,谷口神父のような原理主義者は,sociological gender を無視して,「真の意味での性別 — つまり,神によって創造された性別 — は,単純に生物学的性別と一致する」と主張する.また,それに対して,社会学的な gender studies の 論者のなかには,人間的な意味における性別を ひたすら sociological gender へ還元しようとする者がいる (social constructionist theories of
gender).
だが,実は,transgender の 存在は,それらのような常識的な性別概念 — 生物学的性別の概念と社会学的性別の概念
— によっては,本当に sachgemäß に[事に適ったしかたで]論ぜられ得ない.というのも このゆえに : transgender の 存在は むしろ 我々に このことを示唆している:我々は,このような性別について 問わねばならない — その性別は,ひとりの人間において,生と性の経験に先立って (a priori) 規定されてはいるが,しかし,その者の生物学的性別には還元され得ない.
実際,典型的な transgender girl は,ことばの世界に住みはじめるや(ことばを話せるようになるやいなや),女の子が好むおもちゃや服装に
おのづと(つまり,周囲のおとなたちの示唆や指示がなくても)関心が向く;親が
その子に「きみは男の子なのだから,男の子らしくしなさい」と いくら言って聞かせても,それは,たいがい,まったく無効であり,その子自身にとっては苦痛な強制でしかない.また,他方,トランス男性である杉山文野氏は,「ものごころがついてからずっと,気持ちは『ぼく』なのに,からだは『女』だった.以来,ぼくは,ずっと『女体の着ぐるみ』を身につけているかのような感覚のまま,人生をすごしてきた」と証言している.
したがって,我々が「transgender である」という存在様態を ひとつの人間学的事実として 捉えるならば,我々は,生物学的な意味において生得的 (congenital) であるわけではないが,経験的に獲得された (acquired) というわけでもない もうひとつのほかの性別概念 —
非生物学的であり,かつ,先験的 (a priori)[経験に先立つもの]である性別の概念 — について問わざるをえない.
そのような性別を,我々は,こう呼ぶ:実存論的性別
(existential sexuation) — 生物学的性別 (biological
sex) および 社会学的性別
(sociological gender) からの区別において.
この「実存論的性別」の概念を欠くがゆえに,transgender に関する従来の議論は混乱したものでしかあり得なかった.
では,実存論的な意味における「男である」と「女である」は
如何にして規定されるのか? そのことについて論ずるためには,本当は,わたしが「否定存在論」(l’ontologie apophatique) と呼ぶ思考を導入せねばならない;だが,そうすることは ここでは困難である(議論が あまりに長くならざるを得ないがゆえに)ので,より単純に(それでも 十分に複雑であるかもしれないが),精神分析における「自我理想」(das Ichideal,
l’idéal du moi) — それは symbolique[徴示的]なものである — と「理想自我」(das Idealich, le moi idéal) — それは imaginaire[仮象的]なものである — の概念を用いて論ずるにとどめておこう.
ひとりの人間が実存論的な意味において「男である」ということを規定する symbolique な 自我理想が ある;その自我理想への symbolique な 同一化によって,実存論的な意味における「男である」は 規定される.
それに対して,実存論的な意味における「女である」を規定する symbolique な 自我理想は 無い;つまり,その意味における「女である」は,何らかの symbolique な 同一化によっては 規定され得ない;言い換えると,実存論的な「女である」は symbolique なしかたにおいては 規定され得ない ; symbolique の次元においては,「男である」と「男ではない」とがあるだけである.
では,「女である」とは 如何なることであるのか? その問いは 回答不可能である — こう答える以外には:「女である」ことを規定する symbolique な 自我理想 (das Ichideal, l’idéal du moi) は 無いとしても,「女らしさ」を与える imaginaire な 理想自我 (das
Idealich, le moi idéal) が ある.
かくして,ある人が「トランス男性である」ということは,このことである:その人は,生物学的な次元においては女性であるが,実存論的な次元においては,「男である」ことを規定する自我理想への symbolique な 同一化のゆえに,男である.
それに対して,ある人が「トランス女性である」ということは このことである:その人は,生物学的な次元においては男性であるが,実存論的な次元においては,「男である」ことを規定する自我理想への symbolique な 同一化の 欠如のゆえに,「男である」のではない;かつ,「女らしさ」を与える理想自我との imaginaire な 同一化は 成立している.
そして,以上のような同一化を考慮に入れることによってのみ,LGBTQ の Q — Questioning[男であるか あるいは 女であるかが 不確定である]— の 存在は,思考可能となる:すなわち,questioning
である人々においては,自我理想への symbolique な 同一化は 欠如しており,かつ,理想自我への imaginaire な 同一化も 確かではない(あるいは 不安定である).
このことを付言しておこう:「男である」ことを規定する自我理想への symbolique な 同一化は 欠如しており,かつ 「女らしさ」を与える理想自我との imaginaire な 同一化は 成立している,という条件は,女性たちの大多数と トランス女性とに 共通している.
その意味においては,確かに,「トランス女性は 女性である」と言うことができる.しかし,両者は,経験の次元 — 特に,小児期および思春期の経験 — においては,相異なる:その時期,女の子は,女の子であるがゆえに さまざまな差別(および,場合によって,性暴力 と その危険性の不安)を経験するが,それに対して,トランス女性は,その時期においては 社会的には「男の子」と見なされているので,女の子であるがゆえの差別や不安を経験することはない;また,年齢にかかわりなく,生物学的な意味における女性の身体に特有の器官 および 女性ホルモンに起因する さまざまな身体的苦痛と それに起因するハンディキャップの経験 — それらの経験は,女性の存在様態に対して 大きく作用している — は,トランス女性には欠けている.
また,小児期において,女の子の大多数は,理想自我としての母親との imaginaire な 同一化を 多かれ少なかれ 被るが,それに対して,トランス女性は そのような imaginaire な 同一化を 被らない場合が 少なくないようである.そのようなトランス女性の場合,たとえ 彼女の外見は 性別適合手術と化粧によって 完璧に女性的に見えても,彼女の思考や感性は「女らしさ」を欠いている.
理想自我としての母親との imaginaire
な 同一化ということに関して さらに付言するなら,gay の 男性は そのような imaginaire な 同一化を 被っている場合が 少なくないようである.彼らは,男の自我理想との symbolique な 同一化のもとにあるので,自身の gender identity に関しては「男である」ことに みづから違和感を持つことはない;しかし,少なからぬ gay 男性が有する ある種の女性性は,理想自我としての母親との imaginaire な 同一化によって 獲得されたのではないか,と 思われる.
§ 5. おわりに
この記事においては,如何に 谷口幸紀神父が 彼の 原理主義的 natalism のイデオロギーのゆえに transgender の 存在に関して および カトリック教義の根本的なところについて 無理解と誤解釈 — LGBTQ の人々を(特に transgender の人々を)傷つける 無理解と誤解釈 — を犯しているかを,見てきた.
『福音と社会』Vol. 325 の p.106 に,同誌の編集の責任者 山内 継祐 氏(彼は,1942年生れ,現在 80歳;彼自身,カトリック社会問題研究所のメンバー;『主婦の友』,『週刊現代』の記者を経て,1970年から 1973年まで 発行されていた『カトリック グラフ』誌の編集者;その後,コルベ出版社 代表取締役;現在,フリープレス社 代表取締役;『福音と社会』は フリープレス社から 刊行されている)は,谷口幸紀神父の「書評」における差別発言について「釈明」をしている;だが,その手の「釈明」の通例どおり,山内氏が本心から反省しているとは 思われない.
『福音と社会』誌 および カトリック社会問題研究所が 今回の「谷口事件」に関して どのように責任を取るのか,今後も注目してゆきたい.
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LGBTQ と カトリック信仰に関して わたしが過去に書いた記事も 参照していただきたい: