2024年01月26日,教理省の全体会議の参加者たちに 講話する Papa Francesco
2023年12月18日に 発表された 布告 Fiducia supplicans[祝福を懇願する信頼]が 即座に 非常に強い反応 — 肯定的なものも 否定的なものも — を惹起したことを受けて,Papa Francesco と 教理省長官 Víctor Manuel Fernández 枢機卿は,その後,幾つかの補足説明を 発表している.
次いで,Papa Francesco は,1月14日に イタリア国営ラジオテレビ局の あるテレビ番組で ライブ放送された インタヴューのなかで,司会者の質問に応えて,こう言っている:「主は 祝福する — 彼のところに来る者たちを みんな,みんな,みんな」(Il Signore benedice tutti, tutti, tutti che vengono).
この〈福音宣教という〉文脈において,わたしは,また,最近の 布告 Fiducia supplicans にも 言及しよう.「司牧的な かつ 自発的な 祝福」の 目的は,このことである:〈信仰の道を歩み続ける — あるいは ときとして 歩み始める — ために 助けを求める 人々 — 彼らは さまざまな状況のなかに いる — すべてに対して〉主と教会の近しさを 具体的に 示すこと.わたしは,手短に,ふたつのことを 強調したい : 1) それらの〈あらゆる《典礼的な特徴を有する》文脈および形式の埒外において成される〉祝福[複数]は,それらを受ける条件として,道徳的な完璧さを要請しない ; 2) それらを求めるために カップルが 自発的に 近づいてくるときに,我々[牧者]が祝福するは[そのカップルの]l’unione[そこにおいて ふたりが ひとつに成るところの 繋がり,結びつき : cf. Gn 2,24「それゆえ,男は〈彼の父 および 彼の母から〉離れる;そして,彼の女[妻]に 付く;そして,彼れらは ひとつの肉に成る」]ではなく,しかして,単純に,ふたりでいっしょに祝福を求めにきた[ふたりの]個人 (le persone) である.[我々が祝福するのは]l’unione ではなく,しかして le persone である — 勿論,これらのことを 考慮に入れつつ:そこにおいて そのとき 我々[祝福を求めるカップル および 祝福する牧者]が 生きているところの 状況の 文脈,敏感さ,場所;および[そこにおいて]最も適切である〈祝福の〉しかた.
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邦訳:ルカ 小笠原 晋也