Vatican News の website に 2024年02月27日付で Andrea Tornielli の 記事 Fiducia supplicans, benedizioni non liturgiche e quella distinzione di Ratzinger が 掲載された.以下は,その邦訳である.
Fiducia supplicans[祝福を懇願する信頼],非典礼的祝福,Ratzinger による区別
2000年に 当時の教理省長官 Joseph
Ratzinger 枢機卿によって発表された 指示
(istruzione) は,典礼書のなかに含まれている儀式的な〈治癒の〉祈りを,自発的な司牧的祈りから 区別していた.それは,今 イレギュラーなカップルを祝福する可能性を容認するために用いられているのと 同じ 基準である.
Andrea Tornielli
昨年 12月に 教理省によって 公表された 布告 Fiducia supplicans[祝福を懇願する信頼]は,周知のように,しかも 多くの者たちによって 強調されたように,結婚に関する 伝統的な教義 — それは〈互いに配偶者となる男と女[の カップル]に対してのみ〉結婚の祝福を 想定している — を 変えてはいない.しかして,その文書
— それは〈イレギュラーなカップル および 同性どうしにより構成されるカップルに対しても〉自発的にして簡素な祝福 – ただし その祝福は そのカップルの関係を祝福することをも 彼らの生活行動を承認ことをも 意義していない – の可能性を 容認している — によって 深められているのは,祝福の性質である.
実際,Fiducia
supplicans は,典礼的 – ないし 儀式的 – 祝福と,自発的 – ないし 司牧的 – 祝福とを,区別している.
前者 – 典礼的 祝福[複数]– については,ふたつの〈それらを理解する〉しかたが ある.[一方には,祝福の]より広い意味が ある;それは,あらゆる〈叙階された聖職者により成された〉祈りを「典礼的」と見なす — たとえ それが 儀式的な形なしに – あるいは 公式のテクストに忠実に従わずに – おこなわれた場合でも.そして[他方には,祝福の]より狭い意味が ある;それによれば[祝福の対象となる]人々に関する 祈り (preghiera) ないし 祈願 (invocazione) は,この場合にのみ「典礼的」である:すなわち,それ[祈り ないし 祈願]が「儀式的に」行われた場合 — より正確に言えば,それが〈教会当局によって承認されたテクストにもとづいて〉行われた場合 — にのみ[典礼的である].
布告 Fiducia
supplicans を批判する者たちのなかには このような者たちが いる:彼らは,事実上,祝福の広い意味のみを正当なものと見なし,それゆえ〈「儀式的」および「典礼的」な 祈り ないし 祝福 と「司牧的」および「自発的」な 祈り ないし 祝福との間の〉区別を 受容し得ないものと 見なす.彼ら[批判者たち]のうちには,たとえば このような者たちが いる — 彼らは,こう言って 反論する:典礼も 司牧的な意義を有している.
だが,そのことに関しては,このことに気づくのが 適切である :
Fiducia supplicans は「司牧的」という語に 特別な意味を与えている — すなわち,その意味とは このことである:祝福の対象となる者たちに寄り添うことを目的とする 特別なケア[という 意味]— このような「善き牧者」にならって:善き牧者は〈まいごになった者たちのひとりひとりを見つけるまで〉安心することができない.
また,ほかにも[Fiducia
supplicans を
批判する者たちのなかには]こう主張する者たちが いる:すべての祈りは「典礼的」であり,それゆえ,すべての祈りは〈教会の典礼のために要請される諸条件に〉服していなければならない.
そのような反論に対しては,Papa
Francesco 自身が[2024年]1月26日の 教理省の全体会議の参加者たちへ向けられた彼の講話のなかで,このことを強調しつつ,答えている:「それらの〈あらゆる《典礼的な特徴を有する》文脈および形式の埒外において成される〉祝福[複数]は,それらを受ける条件として,道徳的な完璧さを要請しない」.そのような教皇の言葉は,ゆえに,〈典礼的な祝福を より狭い意味において 考える 方向性を〉肯定している.
典礼的なものと非典礼的なものとの間の区別に関する ひとつの重要な前例は,これである:それは,2000年に,当時の教理省によって発表された 指示 (istruzione)
のなかに 見出される;その指示は,Joseph Ratzinger 枢機卿によって署名され,そして,Giovanni Paolo
II によって 承認されている.
その指示の対象は,神から癒やしを得るための祈りである.その文書の 第 1 部[教義的側面]の セクション 2 において,このことが想起されている:「Rituale Romanum[ローマ儀式書,英訳]の De benedictionibus[祝福について,英訳]のなかに Ordo benedictionis
infirmorum[病者の祝福に関する指示,英訳の Blessing of Persons のなかの 11. Blessing of Sick Pilgrims ; 12. Blessing of a Sick Adult ; 13. Blessing of Sick Children 等を参照]があり,そこには,さまざまな〈癒やしを願う〉祈りのテクストがある」.次いで,2000年の〈神から癒やしを得るための祈りに関する〉指示の 第 2 部 — それは「規律規定」に当てられている
— の Art. 2[第 2 条]は こう述べている:「癒しの祈り[複数]は,もし それらが 教会の所轄当局によって承認された典礼書のなかに掲載されているものであるならば,典礼的
(liturgico) と形容される;そうでない場合は,それらは 非典礼的 (non liturgico)
である」.それゆえ,このことが確認される:[一方には]典礼的ないし儀式的な〈癒やしの〉祈りが 存在する;[そして 他方には]ほかの〈癒やしの〉祈りが 存在する;それらは,典礼的ないし儀式的ではないが,それでも 正当に承認されたものである.そして,次の Art. 3[第 3 条]においては,こう述べられている:「典礼的な〈癒やしの〉祈りは,Rituale
Romanum の Ordo benedictionis
infirmorum において 規定されている 儀式にしたがって,そして,そこにおいて指示されている祭服[の着用]を以て,執り行われる」.
以上の〈Ratzinger
枢機卿により署名され,Wojtyla 教皇によって承認されたテクストからの〉引用から[このことが]推論される:如何に〈Fiducia
supplicans において,司牧的な祝福とは異なるものとしての 儀式的な祝福を定義するために用いられた〉liturgico[典礼的]という語の意義は,確かに
ひとつの展開を表してはいるが,しかし,この数十年間の教会の教えの流れのなかに 挿入されることか.
また,諸々の
benedizioni[祝福,称讃]のなかには,ほかの区別も ある:ある種のものは,consacrazioni[聖別,叙階,奉献]を 表し,あるいは,結婚の祝福の場合は,夫婦となるふたりによって祝われる秘跡への押印を 表す;また,ほかの種のものは,下から神へ向かって上昇する懇願の祈りを 表す;さらに ほかの種のもの(esorcismo
の 場合)は,悪を遠ざけることを目的としている.
Fiducia supplicans は くりかえし こう説明している:司祭または助祭に[祝福を求めるために]近づいてくる「イレギュラーな」カップルに 司牧的ないし自発的な祝福を与える — 如何なる〈結婚[の秘跡]とまぎらわしい〉要素もなしに — ことは,ひとつの〈それら[祝福を求める]ふたりの間の繋がりを承認することの〉形態を 意義しないし,また,如何なる様態においても それを表し得ない.また,Fiducia
supplicans は こう述べている :[イレギュラーなカップルや同性カップルに与えられる]祝福は「[民法上は]結婚と見なされる[が 教会法上は結婚とは呼べない]繋がり または 婚外の性行為に 何らかのしかたで 道徳的合法性の形を 提供する」ものとは 見なされ得ない.
そうではなく,祝福が意味するところは,神への祈願 — 神が〈善の種[たね]が《神が欲する方向へ》成長してゆくことを〉可能にしてくれるよう祈る 祈願 — という意義である.
邦訳:ルカ 小笠原 晋也