クリスマスメッセージ
主イエスの救いのメッセージをみなさんと共有する喜びに感謝!
12月16日の LGBTQ+ みんなのミサの後の集いで,私は,聖書翻訳の例を分かち合いました.
その言語を話す北方の民族の方々には,「喜ぶ」という単語がなかったそうです.「喜ぶ」という表現を調べ尽くしたところ,「シッポを振る」が誰にでも伝わる表現だという結論になったそうです.
喜びがない人達ではなくて,家畜を自分のようにして命を共有しているからだ,というのが私の直感です.
聖書学者,翻訳者たちは,呻吟苦悶したそうです.だって,「イエスはシッポを振った」っていう文章が聖書に書かれるのですから(と,わたしは,分かち合いの集いで言いました).
すると,学者の鈴木伸国神父様は,その日のうちにその話の出典を見つけてくださって,ご返事をくださいました.
Carl Heinrich Bloch (1834-1890), Christus Consolator, Brigham Young University Museum of Art
原著は:
Mark Stibbe 著,Every Day with the Father : 366 Devotional Readings in John’s Gospel[毎日,御父とともに — 信仰を以てヨハネ福音書を読む366日]
第346日 :「弟子たちは,[復活した]主を見て,大喜びした」(ヨハネ 20:20)
わたしは憶えている,牧師になるトレーニングを受けているとき,学校で必ず出席せねばならない礼拝にあまり行きたくなかったことを.わたしは非常に多忙で,せねばならないことがたくさんあったので,本当は礼拝に行きたくはなかった.しかし,あるとき,聖書をイヌイットの言語に翻訳する仕事に携わっている牧師が説教に来た.そのとき彼が言ったことは,今でもわたしの記憶に残っている.彼は,次のような話を我々にした:
ヨハネ福音書 20 章 20 節に来たとき,翻訳者たちは途方に暮れた.イヌイットの言語には抽象的な概念を表す言葉が無く,いかに「大喜びする」という観念を伝達する動詞を見つけるかは,難問だった.ヨハネはこう言っている:復活した主を見て,弟子たちは大喜びした.「大喜びする」は,ギリシャ語原文では χαίρειν であり,それは「喜ぶ,うれしい」である.イヌイットの言語にはそのような動詞は無い.そのとき,翻訳者たちはどうしたか?彼れらは,まず,祈った.すると,彼れらのうちひとりが,完璧な解決を思いついた.彼は,イヌイットの男たちとハスキー犬とのきづながどれほど分かちがたいものであるかに気づいていた.男たちは,朝起きると,犬たちのところに行く — 犬たちを外に出してやり,そして,犬たちにそりを引かせるために.犬たちは,飼い主を見ると,大喜びして,シッポを振る.そこで,彼は,ヨハネ 20:20 のイヌイット語訳のためのそのアィディアを使うよう,提案した.ほかの翻訳者たちも同意した.かくして,イヌイット語聖書ではこう言われている :「主を見たとき,弟子たちはシッポを振った」.
読者諸氏が犬を好きかどうかはわからないが,わたしは犬が大好きだ.わたしは,いつも犬といっしょに生きてきた.結婚以来,わたしたちは三匹の黒いラブラドールを飼ってきた.彼れらは皆,とても忠実な友だった.今飼っている犬は,モリーという名だ.わたしが帰宅するとき,必ず彼女はわたしを待っており,わたしを見て,喜びのダンスを踊る — シッポを激しく振って.
復活した主イェスを見たとき,弟子たちはそのように大喜びしたのだ.彼らは,大喜びでシッポを振ったのだ!
実は,この後が私の分かち合いたい気持ちです.
教会共同体は,「人間が喜ぶ」という言葉をイヌイットに押し付けず,「今 & ここ」で使われている気持ちや言葉を大切にして,人々に伝わるように聖書の表現を変えました.
私の言い方ですと:神に愛されるために,私は何も変わらなくて良い.全能の神が自在に,私に合わせて変わってくださる.神が変わったときの気持ちすら,私は知るすべがない.だけど,私は「喜ぶ」という気持ちがよく分かる.
これを,私達 LGBTCJ で思い直してみます.きっと,神様は,私達にフィットする表現で福音宣教を可能にしてくださいます.
私達には「シッポを振る」という汎用言語はありませんけれど.
この先,私達一人ひとりの気持ちや言葉を紡いでいけば,長い撚り糸ができて,それで布ができます.縦糸横糸の役割があっても,90度合わせば,縦横の役割も変わります.そして,誰をも包み込めるほどの肌触りの良い布になるでしょう.その後は,必要な方に合わせて,自在に断裁されて,縫い合わせられるでしょう.私達の布は,世界中で使われる布になっていきます.
皆さん,クリスマスは,みんなでシッポを振りましょう!
ペトロ宮野亨
私の言い方ですと:神に愛されるために,私は何も変わらなくて良い.全能の神が自在に,私に合わせて変わってくださる.神が変わったときの気持ちすら,私は知るすべがない.だけど,私は「喜ぶ」という気持ちがよく分かる.
これを,私達 LGBTCJ で思い直してみます.きっと,神様は,私達にフィットする表現で福音宣教を可能にしてくださいます.
私達には「シッポを振る」という汎用言語はありませんけれど.
この先,私達一人ひとりの気持ちや言葉を紡いでいけば,長い撚り糸ができて,それで布ができます.縦糸横糸の役割があっても,90度合わせば,縦横の役割も変わります.そして,誰をも包み込めるほどの肌触りの良い布になるでしょう.その後は,必要な方に合わせて,自在に断裁されて,縫い合わせられるでしょう.私達の布は,世界中で使われる布になっていきます.
皆さん,クリスマスは,みんなでシッポを振りましょう!
ペトロ宮野亨