わたしたちの活動の名称変更について — 新しい名称は「イクトゥス ミニストリー みんなのミサ」です
このたび,従来「LGBTQ みんなのミサ」と名のってきた わたしたちの活動の名称を「イクトゥス ミニストリー みんなのミサ」に変更しました.その理由を説明します.
わたしたちの活動は,2015年に 開始されました.そのきっかけを与えたのは,クリスチャン関係の
Facebook グループ(複数)における homophobic
な言説の氾濫でした.わたしたちが 彼らの〈homosexuality に関する〉偏見や誤解を いくら解こうとしても,それは 無駄な努力でした.ですので,Facebook
のなかではなく,現実のなかで,活動を始めることにしました — カトリック信者のなかにも LGBTQ の人々に包容的である者たちがいる ということを 知ってもらうために,そして,教会から断罪され,排除されていると思っているのであろう
LGBTQ の人々に「教会は 誰に対しても開かれており,神は あらゆる人の救済を 欲している」ということを 伝えるために.
わたしたちの活動の最初の名称は「LGBT カトリック ジャパン」でした.指導司祭の役割は,故 小宇佐敬二神父さま(当時 東京カリタスの家の理事)に 引き受けていただきました.そして,2016年07月から 毎月 1 回,都内のカトリック施設の聖堂で ミサを献げていただくようになりました.
しかし,2017年08月に 小宇佐敬二神父さまは 食道癌に対する外科手術を受けることになり,当分の間 療養生活を余儀なくされることになったので(彼は 結局 食道癌の転移のため,2024年05月20日に 帰天しました;主が 彼に 永遠の安らぎを与えてくださいますように),それをきっかけに,ミサの司式を おもに イェズス会の神父さまたちに お願いすることになりました(イェズス会の司祭以外にも,東京大司教区の晴佐久昌英神父さま および サレジオ会の阿部仲麻呂神父さまに 司式していただいたこともあります).
わたしたちの活動の名称に関しては,2016年06月に,故 岡田武夫 東京大司教さまが「団体が 許可なく『カトリック』と名のってはならない」と 注意してきたので,LGBT Catholics Japan の頭文字
LGBTCJ を 名称としました.そして,2018年05月からは「LGBTQ
みんなのミサ」と名のるようになりました.
「みんな」は,勿論,「あらゆる人に包容的である」ことを表しています.PapaFrancesco が 2023年08月の リスボンの World Youth Day での 講話のひとつにおいて « En
la Iglesia hay lugar para todos — ¡Todos, todos, todos! »[教会のなかには みんなのために 居場所がある — みんな,みんな,みんな!]と強調したときには,「みんなのミサ」という名称が〈Spiritus Sanctus が与えてくれた〉思いつきであったのだ ということが証明されたように思われ,感激しました.
さて,「イクトゥス ミニストリー」(Ichthys Ministry) は,高松尚志さん (Facebook, Twitter) が 今年 7月に立ち上げた 活動です (Facebook, Twitter). その構想は 以前から あたためていたものだそうです. その趣旨に関しては,彼のブログでの説明を お読みください(特に 7月18日付の記事,19日付の記事,25日付の記事).わたしたちは,彼の inclusivity と synodality の方針に 完全に賛同しますので,彼の イクトゥス ミニストリーの活動に 全面的に協力することしました.そこで,名称も「イクトゥス ミニストリー みんなのミサ」に変更することになりました.
高松さんも説明しているとおり,ἰχθύς (ichthys) は ギリシャ語で「魚」です.そして,それは,Ἰησοῦς Χριστός, Θεοῦ Υἱός, Σωτήρ[イェス キリスト,神の息子,救済者]の頭字語でもあります.それゆえ,魚の図柄は 西暦 2 世紀以来 キリストの象徴として 用いられるようになりました.
この写真は ローマのアッピア街道沿いの Catacombe di San Sebastiano のなかで撮影されたものです.そこには,魚だけでなく,Χριστός (Christus) の 始めの二文字 Χ と Ρ の組み合わせ文字 および キリストにおける希望の象徴である錨も 描かれています.おそらく 西暦 3 世紀のものでしょう.
高松さんが LGBT や LGBTQ という語を 少なくとも日本のカトリック教会のなかでは 用いない方がよい と考える 理由については,このブログ記事を お読みください.わたしたちは,USA を始めとする諸外国の LGBTQ カトリックの活動において LGBT ないし LGBTQ という語が 特に問題なく 用いられているので,それらの語に抵抗感はなかったのですが,日本においてはそうは行かない ということを 初めて 彼から教えてもらいました.
したがって,わたしたちの活動の名称から LGBTQ
という語が消えても,わたしたちの基本方針は変わりません.それは,SOGI(sexual
orientation and gender identity : 性的指向と性同一性)にかかわりなく,みんなのために居場所があり (inclusive), かつ,みんながともに歩む (synodal) 教会の 建設 — それは,Papa Francesco が我々に示している基本指針にほかなりません — に 協力することです.
だが,カトリック教会が
homosexuality を断罪していることに 変わりはなく,しかして,先ごろは Dignitas Infinita において 性別適合手術までも断罪したではないか? それは 確かに そのとおりです.しかし,わたしたちがそこに読み取るのは,ある種の〈理論と実践の〉乖離です.神学の理論においては — 少なくとも,Thomas Aquinas の形而上学を清算することができていない神学者たちの主張においては — 同性どうしの性行為は 自然法 (lex naturalis) の秩序に反するものとして,容認され得ません.それに対して,Papa Francesco は,実践を — 福音宣教と信仰伝達の実践を — 優先させます;単に優先させるだけではなく,しかして「神学は,教会の福音宣教と 信仰の伝達に 奉仕するものである」(Ad theologiam promovendam) と 彼は説いています — 伝統的な神学の理論と現在的な福音宣教の実践との間の分裂を無理やり解消しようとはせずに.
それは いかにもイェズス会士的な巧みさだ,と言うこともできるかもしれません.しかし,それは むしろ このことを示唆しています : Papa Francesco は,差異は差異として認めつつ,教会の一致を実現しようとしている.そして,「多様性における一致」(Varietate Unitas) は,菊地 功 東京大司教さまの モットーでもあります.
差異を 差異として 認める — それは「言うは易く,行うは難し」の典型例です.自分と違う人たちのことは,攻撃しないまでも,敬遠する — それが わたしたちの日常的な態度です.しかし,それでは「多様性における一致」は実現され得ません.では,それを可能にするのは 何か ? それは,隣人愛です — 主イェスキリストが我々に送ってくれる聖なる息吹
(Spiritus Sanctus) の恵みによって初めて可能となる隣人愛です.
あらためて,わたしたちの「みんなのミサ」が 聖なる息吹に満たされた 隣人愛の場となりますように!
イクトゥス ミニストリー みんなのミサは,従来どおり,原則的に 毎月 第 3 日曜日の 午後,都内のカトリック施設の聖堂で 献げられます.
そして,イクトゥス ミニストリーの 新たな活動として,9月から,原則的に 毎月 第 1 日曜日の 午後,「祈りと黙想の集い — テゼ共同体の歌とともに」が始まります.
もし あなたが「みんなのために居場所があり,みんながともに歩む教会」を ともに作ってゆきたいと思うならば,大歓迎です.是非 おいでください!そして,もし あなたが そこに あなたの居場所を見出したいと思うならば,大歓迎です.是非 おいでください!
イクトゥス ミニストリー : ichthys.ministry.tokyo513@gmail.com
または
イクトゥス ミニストリー みんなのミサ : lgbtcj@gmail.com