今月13日,Papa Francesco は,教皇着座五周年を迎えました.彼のために祈りましょう.主よ,使徒ペトロの後継者である Francesco は,律法により断罪することをやめ,愛を以てあらゆる人を神の家へ迎え入れるために精力的に働いています.あなたの忠実なしもべである彼を,祝福してください.彼がカトリック教会からあらゆる差別を廃止するよう,彼を導いてください.彼の教皇座のもとで,より多くの人々が神へ向きなおることができるよう,彼を助けてください.
Carl Bloch (1834-1890), Transfiguration of Christ, Hope Gallery, Salt Lake City, USA
四旬節です.主の御復活の喜びに与るための心の準備の期間です.わたしたちをいつも新たな回心へ導いてくださるよう,主に祈りましょう.主よ,あなたは,Papa Francesco が改めて引用したように,過越を迎える二日前,オリーヴ山で弟子たちにこうおっしゃいました:「不公正と悪がはびこり,大多数の者たちの愛は冷え込む」.二千年前のあなたの言葉は,神の愛の福音を拒み続ける日本社会の現状を,正確に描き出しています.慈しみ深い主よ,わたしたちの冷え切った心を,あなたの愛の聖霊であたためてください.祈りと施しと断食によってわたしたちが神の言葉に心をより開くことができるようにしてください.わたしたちが「能動的信徒」としてあなたの愛の福音を他者へ伝えることができるよう,わたしたちを勇気づけてください.
今月11日は,Notre Dame de Lourdes の祝日であり,また,世界病者の日でした.癒しと赦しを願って祈りましょう.主よ,あなたはこうおっしゃいました:「わたしが世に来たのは,健康な者たちのためではなく,病む者たちのためである」.また,こうもおっしゃいました:「義とされるのは,律法によって自己正当化するファリサイ人ではなく,自身を罪人と認め,悔いる徴税人である」.慈しみ深い主よ,わたしたちが自身の病と罪を否認することをやめ,自身を「病む者」,「罪人」と認める勇気を持つことができるよう,わたしたちをあなたの愛で導いてください.あわれみ深くわたしたちを癒し,赦し,救い,あなたの永遠の命に与らせてください.
聖職者による児童の性的虐待のスキャンダルによって,カトリック教会から人々の心が離れ,教皇への不信感も増しています.わたしたちの聖なる教会と,主の忠実なしもべ Papa Francesco と,わたしたちを司牧する司教と司祭たちのために祈りましょう.わたしたちの教会の頭である主よ,あなたのからだであり手足である教会が,あなたの意志に常に忠実であることができるよう,導いてください.信徒の司牧以外にも,さまざまな雑務に追われて,疲れ切っているかもしれない司教や司祭を,あわれみ深く癒してください.特に,聖ペトロの後継者 Papa Francesco を改めて祝福し,カトリック教会をまことにあなたの愛の神殿としようとする彼の改革の努力がより豊か実を結ぶようにしてください.
先日,自身が gay であることを公表した京都府長岡京市の市会議員,小原明大(おはら・あきひろ)さん,および,同様に come out して社会正義のために活動している人々のために祈りましょう.悪をしりぞけ,善をもたらしてくださる主よ,社会において正義と公正を実現するために働く人々すべてを祝福してください.特に,sexual orientation と gender identity に関して差別され,いじめられている子どもたちの救いとなるために,勇気を以て come out して生きている人々に,よりいっそうの祝福を与えてください.彼れらのわざによって,社会に平和の実を豊かに実らせてください.
USA で2015年06月に合衆国最高裁判所が「同性カップルにも結婚の権利は認められるべきだ」と判断するに至るまでの同性愛者人権運動の歴史を,特に弁護士 Evan Wolfson 氏と彼が主導した結婚の平等の実現のための社会運動 Freedom to Marry[結婚する自由]に焦点を当てて振り返ったドキュメンタリー映画 Freedom to Marry の上映会と,Wolfson 氏の講演会が,13日晩,LLAN の主催により,日本橋の Bank of America Merrill Lynch 社内のホールで開かれました.
わたしは二年前,Wolfson 氏の初来日のときに彼に会いました.そのときはこの映画はまだ完成されておらず,「楽しみにしていてくれ」と彼は言っていました. 今回の彼の来日のことに関しては,こちらの新聞記事で取り上げられています. 13日の晩は,会場で,我々の友人,文京区議,前田邦博さんにも会いました. 同性婚の問題についてであれ,人権一般の問題についてであれ,日本ではおよそ期待し得ない社会正義の実現の物語を聞くことは,大きな喜びと勇気を我々に与えてくれます. Evan Wolfson 氏は,1957年に NYC で生まれ,1983年に Harvard Law School で法学博士号を取得しました.その際に提出された学位論文 Samesex Marriage and Morality : The Human Rights Vision of the Constitution[同性婚と道徳:憲法の人権観]において,彼は,同性愛者の結婚の権利を主張する議論を大胆に展開しました.当時,同性愛者のカップルが結婚する可能性について真剣に考えていた者は,USA でもほかに誰もいなかったでしょう. 彼は,結婚の平等のための彼自身の社会運動の出発点を,この1983年に置いています.ですから,2015年に同性婚合法化の成果が得られるまで,32年かかったわけです.そのゴールに向けて,彼はその間,たゆまず努力し続けました.この粘り強さは,実に,敬服に値します. それを支えるものは,希望です.今,日本人の大多数にとっては,持つことが最も困難なものです. そして,論理の明晰性です.法のもとでは,あらゆる人間は平等であり,平等に権利を有している.結婚の権利に関しても然り.実に明晰な論理です. しかし,この法治国家の大原則も,日本社会では実際には通用しません.たとえば,最高裁は,夫婦別姓を認めようとせず,結婚によって姓を変えない権利(男にとっては言うまでもなく認められている権利)を女性には認めようとしません – 法ではなく,家父長主義的イデオロギーを優先するせいで. Wolfson 氏は,2003年に,結婚の平等を実現するための全国的な社会運動組織 Freedom to Marry を立ち上げます.2015年の最終的な勝利に至るまでのその歴史は,Freedom to Marry のこちらのページに紹介されています. 結婚を男女間に限ろうとする保守派の激しい反対運動に対抗し,先入観にとらわれた世論を草の根のレベルから変えて行く根気づよい努力の物語は,実に感動的です.しかし,果たして日本社会で同様のことは可能だろうか,といつも考え込んでしまいます. キャンペーンを張ろうとしても,日本会議に代表される保守的イデオロギーに同調する企業の資金力に勝てるはずはない.たとえ今,日本での世論調査では同性婚に賛成する者の方が若干多くても,保守派の大規模な広告作戦によって賛否は簡単に逆転してしまうに違いない.そのとき,果たして,外資系の大企業が日本における同性婚法制化の実現のために資金提供する可能性など,あるのだろうか?... また,そもそも,日本人社会は「議論する」ということが成り立たない社会です.日本人は,「上」からの命令の言葉を聞くだけで,議論において相手の言葉に耳を傾けようとする態度に欠けているからです.日本の教育制度のみごとな成果です. 日本で世論を同性婚賛成の方へ持って行くには,誰もが知るような有名人が「わたしは同性パートナーと結婚したい」と涙ながらに訴えて,同情を買うしかないのではないか,とわたしは空想しています. 講演の後,結婚の平等のための社会運動と feminism との連携について Wolfson 氏に質問しましたが,両者の連帯は大切であり,当然だ,というような一般論のレベルでの答えしか返ってきませんでした.この問題についてもっと具体的な答えを得るためには,Freedom to Marry の lesbian のメンバーに質問する方が,より適切でしょう. また,今回は会場が USA の大企業の東京支社のなかにある大ホールであったため,余計にそう思わされましたが,結婚の平等を実現するための社会運動と LGBT の人権を擁護するための社会運動において,結局は respectability politics[社会的差別を解消して行くために,被差別者が差別的な多数派の社会規範のなかで敬意を払われるような社会的地位を獲得することを重要視し,差別者側に被差別者側を受け入れさせることを軽視する考え方]が優先し,LGBTQ+ のなかで経済的に不利な立場に置かれている人々や,既成の社会規範のなかに収まりきらない queer な存在の人々が取り残されてしまうことになるのではないかとの危惧を,改めていだかされました. カトリック教会が LGBTQ+ の人々に神の愛の福音を伝え,彼れらを教会へ迎え入れるとき,まさに Jesus が手本を示してくださっているように,社会のなかで最も辺縁に追いやられている人々を最優先することを忘れてはならない,と改めて思いました. ルカ小笠原晋也
この数ヶ月間,わたしは,多数の
LGBT カトリック信者から便りをもらいました.信仰や教会内の居場所について葛藤をかかえている人々です.質問のうち最も共通していたのは,カミングアウトに関することです.つまり,自身の性的指向または性同一性の現実を家族や友人と分かち合うことです.多くの人々にとって,若い人でも年配の人でも,カミングアウトは怖ろしい経験であり得ます.特に「教会は
‒または,神様は ‒,なんだか,わたしのことを嫌いなんじゃないか」と感じている場合は.しかし,カムアウトした後でも,なおも,信仰とも教会とも葛藤が続く場合もあります.
そこで,心にとめておいて欲しい五つのことを挙げましょう.
1.神は,あなたを愛している.
それは,基本的なことであり,自明なことでさえあるでしょうが,しかし,特に,「わたしは,ほかの人々から愛されていない,受け入れられていない」と感じている
LGBT の人々にとっては,重要な気づきです.神は,あなたを創造しました.ですから,神はあなたを愛しています.
でも,ときとして,こう考える
LGBT の人々もいます:「わたしが打ち明けない限りで人々はわたしと仲良くしてくれるが,もしカムアウトすれば,わたしを愛してくれる人は誰もいなくなるだろう」.確かに,多くの場所で,LGBT の人々は,さまざま理由で拒絶されます
‒恐れのせいで,無知のせいで,偏見のせいで.悲しいことに,ときとして,拒絶が宗教的信念にもとづいている場合さえあります.アメリカ合衆国内でホームレスになっている
LGBT の若者たちに関して為されたある研究によると,彼れらが家から追い出された主要な理由は,彼れらの親の宗教的信念でした.しかし,あなたを本当に愛している人々は,ありのままのあなたを受け入れてくれます.そのような愛を見つけるのに時間がかかる場合があるとしても.
ですから,単にあなたが LGBT であるという理由で「神はあなたを憎んでいる,あなたを拒んでいる,あなたを断罪している」と言うような人々の言葉を聞いてはなりません.それは間違っています.ですから,一瞬たりとも耳を貸すに値しません.かわりに,神のあなたに対するあわれみ深い愛に,あなたの存在を中心づけてください.そして,神の愛のしるしを内でも外でも探してください.
2.神はあなたを創造した.
もしあなたが LGBT なら,「神はあなたを創造した」はもうひとつの重要な気づきです.声望ある精神科医,心理学者,生物学者なら,誰でも,こう言うでしょう:あなたは,男であるか女であるかをみずから選んで生まれてきたわけではないだけでなく,異性愛者であるか同性愛者であるかをみずから選んで生まれてきたわけでもない.ですから,あなたが性同一性や性的指向に関してどうであるかについてあなたに罪があるかのように思わされないようにしましょう.それは,左利きに生まれたか右利きに生まれたかと同じようなことです.
教会があなたの家であるためには,あるがままのあなたを歓迎し,肯定してくれると感ぜられる小教区を見つけることが,重要です.あなたがそのような小教区を探しているなら,New Ways Ministry が作成した
LGBT friendly な小教区のリストを調べてみるとよいでしょう.
しかし,探してみても,歓迎してくれる小教区を地元では見つけることができない
LGBT カトリック信者も少なくありません.そのような場合,自身が所属する小教区では歓迎されていない,と感じたままであらざるを得ません.LGBT の人々に対して無神経な言葉,攻撃的な言葉,さらには罵りの言葉をさえ発する司祭や教会役員がいる,という話を,わたしはたくさん聞いてきました.人間が作る組織においてはどこでもそうであるように,冷淡なこと,卑劣なことを言ったりしたりする人がいます.どの職種においても,同じことです.しかし,だからと言って,カトリック教会から立ち去らねばならない,というわけではありません.わたしは,よくこう言います:「ヤブ医者に出くわしたことが一度あるからといって,二度と医者に診てもらわないでいられますか?」.それでも,それはとても辛いことです.よくわかります.
さて,質問全部にお答えすることができなくて,すいません.信仰や教会との葛藤に悩んでいる
LGBT カトリック信者からの質問も,LGBT に関することがらについての質問も,とてもたくさんいただいたので.ともあれ,ここで述べた幾つかの省察が何かお役にたてばよい,と望んでいます.そして,なかんずく,忘れないでください,あなたに対する神の愛を.なぜか?‒答えを当ててみてください ‒なぜなら,神はあなたを愛しているからです.